にはさんだウドンの中に実はいっぺん人形が食べたはずのウドンが一本はさまれたとしても、そういうことが気にかからないのだろうか。
 あるいは、別のドンブリ、たとえば自分の茶碗を別に用意しておいて、人形の口へあてがったウドンを自分の茶碗の方へうつして、また新しく人形の口へ人形のお茶碗からウドンをハシにはさんで、というヤリ方であるかも知れないな。相手が物を食べない人形だとなると、こういうことが、ひどく気にかかるな。
 とにかく、人形にウドンを食べさせる、そのウドンを人形がたべた、ということを、どこで納得するのだろう。
 日本では神様や祖先の霊に食べ物を供える習慣がありますね。これはまったく習慣でしょうね。私の女房も私の母の命日に母が好きだった肉マンジュウや郷土料理などを母の写真の前に供えたりする。お供えした方がいいかと私に相談したこともあって、アア、よかろう、私はそう答えたのだろう。ツマランことだと云ってしまえば、まったくその通りであろう。そして、ツマラナイことではない、という反証をあげる方がムリであろう。母の写真の前にはいつも何かしら花を花ビンにいれてある。その花ビンがあるために私のヒキダシ
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