をあけることができなくて、私は一々それを動かしてからヒキダシをあけたてしなければならない。まア、めったにそのヒキダシに用がないからいいが、しかしそれでも、そのたびに、どうもウルサイ花ビンだなと舌打ちする。
 しかし、私の女房がほんとうにその気持で母の写真に食べ物や花を供えることを喜んでいる心や習慣があるなら、私自身は自分でそんなことをする気持がなくとも、女房のヤリたいことをやらせて悪いことはなかろうさ。習慣をやめるのはむつかしいし、昔から人のしてきたことが迷信だと分っていても、それを怠ると不吉になるような、そういう迷いもあるだろうし、迷信だ、ツマラン形式だといっても、それをやる個人の気持はその人なりに複雑であるから、個人の特殊な生活には干渉する必要はないね。それが他に迷惑をかけるものでなければ。
 この人形と生活している婦人の場合なども、もとより人に迷惑をかけるようなところはないだろうから、そんなツマランこと、おやめなさいと言う理由は毛頭ないであろう。しかし他人もそれに対していろいろ興味をもったり批評したりキチガイじゃないかなどゝ言ったりするのも、これも仕方がないでしょう。そういう興味
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