んまり食慾がないから、特に美食がほしいという気持もなく、食慾の満足に多くの愉しい期待をかけていない。だから何かが特に食べたいとも思わないから、愛情を食慾的に感ずることもないのだが、美食家や旺盛な食慾を持った人たちが、自分の本当に愛するものを食べたくなる気持は分らんことはありませんな。本当の愛情にはそういう動物的なところもあるだろうと察せられますよ。
食慾なんてものは、そういう実質的なものだなア。愛する人形が物を食べないのに、物を口まで運んでやって、食べないという事実にぶつかって、泣きもせずにそこから引き返して平気でいられるのも分らんし、人形が食べないのに、自分だけは実際に食うということに自己破壊を起さないのも分らん。要するに、全然バカバカしいママゴトだね。魂をかけた愛の生活はありませんや。
この手記をよんでも、夜やすむ時光線が邪魔にならないようにガーゼを当てるとか、寒くなるとカゼをひかないかと心配で、なぞとありますが子供のママゴトも、実生活のマネということではまさしく完璧で、お医者にも見せるし、氷嚢も当てるし、注射もしますし、オシッコもさせるし、要するに、この婦人のママゴトは子供の
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