す。
 夫が失職して生活できないから、妻がダンサーになった、女給になった、という。こういうことが原因で一家の平和がメチャクチャになるような話は昔から山ほどあったものですね。この夫が考えているような通念からみれば、接客業というものは最低以下の職業ですが女房をそういう最低以下の地位に落して稼がせるぐらいなら、男の職業がない筈はありませんよ。女房にそういう仕事をさせても、自分の方は多少とも社会的地位のある職業でなければならんという考えが、かかる悲劇や家庭破滅の最大の原因をなしております。女房に地位の低い仕事をさせて(奥さんの仕事の地位が低いというのは私の考えではなくて実はあなたの考えなのだが、そのこともあなたはお気づきになっておらんだろうなア)自分は多少でも地位や身分のある仕事をさがして、そのために自分の方には勤め口が見当らん。そして奥さんの稼ぎで自分の生活もおぎなってもらっておりながら、自分の方では相変らず地位だ身分だというようなコダワリがあるとすれば、そういう妙な気位や威張りが、奥さんの目には実にバカバカしく妙なイヤらしいものに見えるのは当然だろうと思いますよ。
 女房の奴メ、不貞だ、手討にいたす、というようなのは、あなたが殿様かなんかで、奥さんにゼイタクをさせて飼い犬のように不自由なく飼っておった場合に、わが意に反することをするといってブン殴ることはできるかも知れんが、男女同権というような新憲法の時代でなくとも、女房をそういう働きにだす以上は、もう女房はないものと思わねばなりません。男の地位や身分をまもるために妻女が最低の地位に落ちて稼ぐというのは、すでにその一家には通常の論理が失われているということを意味しておりますね。その一家が通常の論理の上に安定しているためには、まず男の方がどんな地位の低い仕事についてでも、真ッ黒になってボロを着て指は節くれて掌に血マメが絶えなくとも、男が一家の生計を支えねばなりません。夫に妻の不貞を咎め制裁する権力がないとは何事であるかというような論理を支えるには、さらにその上に、あなたが殿様で犬を飼うように何不自由なく女房を飼っていてのことだ。私は法律だの憲法を云っとるのじゃありません。そういうものではなくて、日本人の通常の家庭生活において、その旧来の習慣をひっくるめ、さらに社会環境をひっくるめ家庭の外部と内部を通観した上で、一家の支えと
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