論理家が身の上相談に当っても、こういうことは論理的に当事者を納得させるような結論は決して出てこないものですよ。当事者二人ともその論理の出発点が全然個性的で、先生の論理と論理の性質を異にしているから、新聞の短い文章で答がでるのは百害あって一利なし。私は、身の上相談欄というものは、単なる読み物で、それも一番低俗な読み物。そういう風に解しております。そういう意味では実に存在の理由があります。
 こういう実生活上のゴタゴタは、公式の裁判に限るようですね。裁判というと大ゲサですが、公式で手軽な調停機関があって、手軽というのは手続きが手軽ということで、調停の仕方が手軽で安直であっては困りますが、両方の身になってよく考えてやって、こういうヒビができると、元の枝へ返すのはムリですから、両者に生活能力があるなら、円満に別れて別々に新しく出発するための良き機縁となり、良き案内者となってやる。そういう機関があって、やってくれると、それが何よりなのでしょうね。しかし各家庭のゴタゴタの世話をやくには大そうタクサンのそういう機関が必要で、日本中のゴタゴタの千分の一に手がまわるだけでも大変だろうなア。
 とにかくハッキリ云えることは、こういうゴタゴタに両者に納得できる論理は実在しないということです。しかし、正しい論理はあるのですよ。だが正しい論理があっても、両者をそれで納得させることは不可能だという意味です。その一ツの証明になるのが、この投書ですよ。
 しかし、非常に親切な調停機関があっても、この人の場合は、うまく両者が納得できて、各々幸福だというような解決をつけてあげられるか、どうか、疑問だと思います。
 まずこの事件の原因は夫が失職して妻が働いたのが失敗の元ですな。この夫は手記の中で(第一の投書)外地の生活は地位の低い方でもなかったというようなことを仰有《おっしゃ》るが、その同じような地位で内地の就職ができない、そして失職してるというような気持があるのでしたら、それが根本的にマチガイでしたでしょう。夫が失職して妻が派出婦になる。派出婦というものは、もしもこの夫のように職業に地位の高低があるとすれば、まず最低の地位の職業ですね。奥さんをそんな最低な仕事にだして一家の生計をたてる必要があるなら、旦那さんたるもの失職してる筈はあり得ませんや。派出婦に匹敵する低い地位の男の職業なら必ずある筈のもので
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