もないとしたら、夫は只泣き寝入りの外はなく、妻はしたい放題[#「妻はしたい放題」に傍点]……と云わねばなりません。とすれば、自由民主主義下の現代道義はどうして維持するのでしょうか? それでは、自分勝手ばかりで他人の迷惑など吾れ関せずのアプレゲール流こそ処世の常道の世の中となるではありませんか。それで法的に打つ手がないということは、凡そ締め括りのつかぬ世の中になったものです。何とか制裁の途はありませんか。序《ついで》ながら、右の事態から云えば、夫が妻以外の婦人を愛し、別に生活を持つとしても『自分の独立した意志』なら御勝手次第「妻から離婚を求むるは兎も角として」と云う事になりますが、果して法的制約の途はありませんでしょうか。
 又、『自分の独立した意志』が尊重される結果なら、生活困難な親を顧みない子も制約出来ないのでしょうか。如何でしょう。
[#ここで字下げ終わり]

 さて、これはさる新聞の身の上相談欄にでたものだそうで、第一が投書、次が新聞の先生のお答、次がそのお答に不満の投書者の手記で、私はこの第三番目の手記について見解をのべることになっていますが、どういう見解をのべても彼が満足するとは思いません。
 私は田舎住いですが、東京の新聞は、まアだいたい読んでおります。しかし、新聞の身の上相談というところは、ここ二三年、読んだことがありません。新聞の紙面のうちで、この欄が私には一番ツマランところですが、自分で一番ツマランことだと思っているのと同じことを自分がやろうというのだから、私は実にツマラン人物の見本のようなものですな。
 しかし、身の上相談がどうしてツマランかということを、この投書がハッキリ証明していると思います。先生のお答は、別に上出来なところもありませんが、まアこんなことでも云う以外に仕方がないでしょうね。しかし、こういうお答によって、決して事件が解決して投書家の新生活のカギになるようなことはないでしょう。なぜなら、こういう実生活上の人間関係は論理的にはどうにもならんです。ごらんなさい。この男子は、男女同権、人権とか自由とか、そういう基本的なことを全然考えておりません。妻の不貞に制裁を加えることができず、妻の自由意志なら芸者になったのも仕方なしと泣寝入りせざるを得んのが民主時代なら一家心中かムリ心中したくなるのが当然だと彼は怒っております。
 要するにどんな大
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