なる論理について云ってるのです。
編輯部から持ってきた今月の出来事の中で、一ツ、こんなのがありました。結婚以来三十年という老夫婦、二人の息子が二十九、二十四という大人になってる家庭で、父に金ができたら女遊びをはじめて愛人ができた。母に同情した息子が父を責めてポカポカぶん殴ったので、父は家を出て愛人のところで生活するようになった。息子はそこへも押しかけて行って父を十五か十六ぐらいポカポカぶんなぐったそうだが、息子の後援で母の方から離婚訴訟を起したという事件です。この訴訟を起した直接の原因は家出した父が養子を探しているのを探知した母と息子方の方が、このまま放置しておくと財産を養子にとられる怖れがあって、こうなったものらしい。
こういうように、実の息子が父の頭をポカポカ十五か十六もなぐるような暴力沙汰に及んで、もはや父と子の和解の道は得られない状態になっても、ここには財産というものがあるために、裁判によって解決の道が得られます。息子がオヤジを十五も十六もぶんなぐっても一家心中ムリ心中、オヤジ殺しなどに至らないのは、財産があって、それが愛憎を適当に解決してくれる見込みがあるからですね。
ところが、この投書の場合には、物質的に解決する手段がないですよ。父と息子のケンカは財産があることによって起ったような一面もあるかも知れませんが、投書の場合はアベコベに無一物であることから事が発しておって無一物であるために、論理的にも物質的にも両者を納得させる解決ができそうもない。したがって、誰が調停したって、結論は二ツしかない。夫が妻をあきらめて別れるか、妻が夫のもとへ戻って夫が生計を支える働きにつくか。
ところが、この夫の手記によると、妻の不貞を制裁できない民主国なら一家心中ムリ心中も辞せんと云うし、一方二人の仲にヒビができて不貞という観念が夫の念頭にからみついてしまったのに、芸者をやめて戻ってきた妻が夫に隷属する生活に堪えうるかどうか。この手記によって判断しても、まったくこの夫にかかっては妻は隷属ですからね。
法律で妻の不貞が制裁できないから、一家心中ムリ心中を考えるという、こういう性質の男は、たいがいの女房に逃げられる性質の男だろうと思いますよ。彼の思想や感情の上で、女房は奴隷にすぎないもの。奴隷は飼われているのだから、飼う能力がなくなれば主人から離れたり逃げるのは仕方がない
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