安吾人生案内
その三 精神病診断書
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)恃《たの》み

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
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/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)わざ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     妻を忘れた夫の話  山口静江(廿四歳)

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『これが僕のワイフか? 違うなア』行方不明になって以来三ヶ月ぶりでやっと三鷹町井ノ頭病院の一室に尋ねあてた夫は取り縋ろうとする私をはね返すように冷く見据えて言い切るのでした。いくら記憶喪失中の気の毒な夫の言葉とはいえ余りの悲しさに、無心に笑っている生後五ヶ月の長女千恵子を抱いて思わずワッと泣き伏してしまいました。思い起せば四月廿三日何気なく某紙夕刊を見ますと『日本版心の旅路、ウソ発見器は語る犯罪と女――突然記憶を失った男』という三段抜きの記事と共に過去を思い出そうと考えこんでいる男の写真が出ているのでした。それが夢にも忘れることの出来なかった夫だったではありませんか。記事によると同月十四日銀座西八丁目の濠ばたで浮浪者がたき火を囲んでいると飄然と現われた廿五六歳、シルバーグレイのレインコートを着た色白の身なりのいゝ青年が現れて話しかけたが様子が変っているので築地署に連れて行ったところ『あゝ何もかも忘れてこの世に突然生まれたような気がする』というので詳しく聞くと近くの公衆電話の中で急に意識が霞み、扉をあけた若い女のアッという叫び声で意識を取り戻したがそれを境として過去の記憶は落莫とした忘却の彼方に消え自分の名も住所も年も忘れて銀座をさまよっていたのでした。それから井ノ頭病院の精神科へ送られ先生達の診断を受けたところ電話ボックスの中以来のことは常人同様はっきり覚えているし文章も巧く英語も話すが、完全な逆行性健忘という病気であるということが分りました。しかもアミタールという麻酔剤で半酔状態にされ話した所によると父死亡、母健在、兄三人のうち二人戦死、嫁した姉妹があるなどの家族関係がぴったりあっているのです。驚いた私は夫の兄(横須賀市浦郷五二二山口万福)のところへかけつけると義兄も『弟らしい』と新聞を見ていってるところでした。夫は山口袈裟寿といゝ廿五歳、神田の市立工業を出て横須賀の航空技術所を出て海軍に入っていました。終戦後神奈川県庁地下室で時計屋をしている兄の所で昨年八月まで手伝していましたが十一月に長女が生まれ私の実家(横須賀市)で一緒に暮していました。今年の一月『職を探して来るから』といって出たまゝ消息がなく私は途方に暮れているところでした。その夫が今は井ノ頭病院に一切の過去を失っているというのですから、私は義兄と義姉=夫の姉静子(二九)=と長女と四人で取る物も取りあえず廿四日病院にかけつけました。主治医の曾根博士は私達から一通りの話を聞き終ったあと『ネクタイの裏にコタカ、ズボン下にトクサワとありますが本人に間違いないようです』といわれ姉と私を待たせ、暫くすると看護服を脱いで色とり/″\の私服姿をした五人の看護婦さんの間に私たちを交えてしまいました。やがて呼吸曲線測定器をつけた男が現われました。まぎれもない夫です。夫は博士の命で私たちの顔を次々じっと見てゆきましたが顔には何の表情も現わしません。呼吸の乱れもありません、博士はダメだという風に首を振りました。たまりかねた姉が『袈裟寿!』と呼んでも知らぬ顔、全然見知らぬ他人と同様なのです。私が『まだ思い出せないのでしょうか。あなたは私の夫です』といったところあの惨酷な『これが僕のワイフか? 違うなア』の言葉です。夫はそれでも自分が独身であると信じていたのですが博士から次々話を聞くと不承々々『理論的には僕の妻と姉らしい。他人だったらわざ/\見舞に来てくれたりしないだろうから……』というのです。
 失踪以来二ヶ月半夫は何をしていたのでしょうか。アミタール反応では横浜の進駐軍につとめていたといゝますが依然空白です。またどうして記憶喪失症になったのでしょうか? 外的なショックではなく心因性という心のショックだそうです。これは電気ショックなどの治療で時日がたてば次第に恢復するそうですし、本人も希望しますので当分入院をお願いし、打のめされて病院を出ました。ウソ発見器では性と犯罪に関する反応が多いということでしたが、これは絶対にそんなことはないと信じています。
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 さて、難物が現われましたね。たったこれだけの手記から一席やれとはムリ難題も甚しいや。病人の奥さんの手記とはいっても病人と長く起居を共にしてその観察を記したものではなく、きわめて短時間の会見記にすぎない。医者が一人の病人を診察するにも長い観察や実験が必要でしょう。まして私は医者ではないから医学的なことは云えない。文学者として人間的に取扱うのがタテマエであるから、どうも、こまったね。編輯者曰く、お前さんも斯界の古老であるから(というのは病気を診察した古老じゃなくて診察された古老だということさ)経験を生かして、大いに語るべきウンチクがあるでしょう。キタンなく談じていただきたく存じます。ハハハハ。空虚な笑いだね。つまりはこの編輯者はキチガイなのさ。自分の不安をまぎらすために私をからかうという典型的な分裂状態にいるのだね。いまに入院するよ。そう遠くない。
 さて、この山口さんのようなのを逆行性健忘症というのだそうだが、普通は頭を強打するというような外部からのショックでなるものだそうだ。山口さんのは神経的、もしくはヒステリー的とでもいうのかね。心因性と手記にあるね。「遁走」などと云ってる学派もあるようだ。現実をのがれ、忘却の中へ遁走したいような願望は誰の心にもあるはずだ。人間は悲しいものさ。
 公衆電話の中で意識がかすんだそうだ。最近の某夕刊紙に別の婦人患者の例がでていたが、この婦人は路上でメガネを紛失したと思い探しているうちににわかに記憶がうすれた、という。この婦人は山口さんの場合とちがって、電気ショック療法で治った後に、記憶を失った当時の状態を思いだしているようだ。いろいろ様々なんだね。
 普通の人のたぶん健全な状態においても、瞬間的な健忘状態は時に経験する筈だと私は思うが、どうでしょうか。たとえば便所から立上った瞬間とか、出た瞬間とか、あるいは便所の中に於て、とか。また、単に自分の部屋を立上り、戸をあけて出た瞬間に、部屋を出た目的を忘れて、何秒間か思いだせなかったというような場合がありはしないだろうか。私にはそういう経験はシバシバある。家人を呼びたてておいて、家人が何御用ですか、と現われた時に、用向きがにわかに思い出せなくなっているというような瞬間もある。
 山口さんが公衆電話の中で何かしているうちに意識を失った、というのや、婦人患者がメガネを紛失したようだとポケットかハンドバックかなんか探しているうちに意識がかすんだ、というのは、その発端に於ては、我々の日常において経験する平凡な健忘状態とほぼ(否、まったく)同様で、ただそれが長時間にわたってさめないこと、さめずに別人の生活をしていることの相違がある。この相違は甚しいけれども、意識を失う発端の状態はよく似ていて身につまされるから、あんまり良い気持はしませんね。
 山口さんは意識を失ったのち何かの職業についていたようだ。別人として何十日、何年間と生活している例は多いようだが、過去を失った瞬間をよく覚えていてそれ以前のことを思いだそうと努めているらしい山口さんは面白いね。もっとも、過去がどうしても分らなければ思いだそうとせずにいられないのは当然だ。その限りに於て、過去を忘れたということ以外は山口さんはほぼ普通の人間であり、生活能力者である。
 婦人患者の場合は、記憶喪失とともに子供にかえり(彼女は二十五であった)幼稚園児童のように折紙細工をしたり童謡をうたったりしていたそうだ。こういうのを児戯性というのかな。どちらもヒステリー的な神経障害とでもいうのかね。医学上の定義は私は知りません。
 ある過去へさかのぼって、たとえば二十年前の書生時代の上京しつつある状態にさかのぼって、東京へ、東京へと上京しつつある気持になっているような例も多いそうだ。
 しかし、これも人ごとではない。オレは普通の健全な人間だと云って安心してもいられないね。我々が前例の如くにフッと意識を失った瞬間に、ある過去の自分に逆行して、その継続をやりかけようとする瞬間がありはしませんか。やりかけようとする瞬間にたいがい気がついて、すぐ我に返るから、それだけの話ですが、それが長くつづく状態が病人で、時間の差があるだけだと思うと、よい気持ではないね。どうも、こんな話ははやく止めたいね。
 我々の可能性はすべて夢の中で起っているようです。どうしても過去が思いだせない状態なども夢の中で時々経験することの一ツですし、子供に還っていたり、また分裂病よりも甚しいフシギな経験を夢の中でやっていますよ。
 夢というものは奇怪なものだが、しかしフロイドの夢の解釈はあんまりコジツケがすぎるようだ。夢はあまりにも怪物ですよ。そうカンタンに解けますまい。
 親しい友だちの顔を思いだすことはできます。しかし視覚的に思いだすことはできませんね。なぜならただモヤモヤと思いだしたような感じがあるだけで、それを頼りに写生しようたって決してできますまい。もっとも、絵の天才は別かね。だが、彼とても、視覚的に思いだすということはできないと思うね。彼がキチガイでない限りは。
 しかし、夢の中ではハッキリ視覚的に彼と対面できるのですよ。だから、印象とか記憶というものは、視覚的にも身体のどこかにハッキリ残っているわけだが、夢と幻覚以外では視覚的に思いだすことが不可能だというわけですね。しかし夢も幻覚も意志によって見ることができないのだから、ハテサテ、人間の能力というものは窮屈なものだね。写真機よりも正確な現像能力があるくせに、自分の撮影したり録音したトーキーを頭の奥の部屋のヒキダシへ入れてカギをかけてしまいこみ、自分の意志でとりだして眺めることができないのだね。きわめて偶然に、夢やキチガイ状態の幻覚に際して見ることができるだけさ。
 キチガイというものは自分の頭のヒキダシのカギをはずして、自分の撮した写真を眺めたり、過去と対面することができるらしい。その点に関する限りは、彼は不可能や不可思議を行っているのではなく、きわめて当然なことをやっているだけの話であり、普通の人間にはその当然の能力がないだけの話さ。つまりキチガイには夢と同じように空間に投影し、現像する映写幕があるのだが、普通の人間にはそれがないのだね。
 健全な人間というものが、恐しくハンチクなものなのさ。当然あってしかるべき映写幕も蓄音機ももたない。キチガイは文化生活をしているらしいや。健全な肉体とは未開人のそれで、キチガイは文化人。芥川の河童かなんかが言いそうなことだね。もっとも、キチガイも自由自在に過去と対面できるわけではない。過去が、または相手の人物が、自ら映写幕に姿を現すのである。毎日きわめて規則的な時刻に。または唐突に。
 とにかく人間には、空間の映写幕と同じように投影できるものが内在している筈なのである。しかし我々が健全に目をさまして生活している限り、それに記憶を投影して視覚で捉えることが不可能なのである。健全な人間の精神機能というものが、これぐらい頼りなく故障だらけのものであることが分れば、健全な精神というものは、あんまり恃《たの》みにならないものだということが明らかでしょう。もっとも、それを恃みにする以外に手はありませんね。河童の優位を認めるわけにもいきますまい。
 第一、睡眠が変テコだね。妙テコレンなものが存在するもんですよ。我々は、とにかく毎日何時間ずつ完璧に過去も現在も忘失しつつありますよ。だいたい健全な人間というものが甚しく妙なものであるらしい。
 山
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