口さんの如くに過去を忘れて思いだせないということは、奇ッ怪フシギの如くであるが、実はそれほどのことではなさそうだよ。よくキチガイのことをゼンマイが狂っていると云うが、なかなか巧い表現だね。しかし、まだすこし表現が大ゲサにすぎると私は思うのです。実に一部のちょッとした故障でラジオが全的にきこえなくなったようなものらしいや。記憶を全部忘れるという結果は大きい変化のようだが、実は甚だ微々たる故障でそんなことが起っただけなんじゃないかね。
パチンコの機械が狂うと、パチンコ屋のオヤジが箱をトントンと叩くね。すると正常に返る。人間が狂うと、電気ショックやインシュリンショックをやる。つまりパチンコの箱をトントンと叩くようなものさ。パチンコ屋のオヤジはパチンコの機械の構造はよく知らないらしいが、トントン叩くとたいがい正常に返ることを知ってるのだね。精神病のお医者さんもそんなものらしいな。なぜ気が狂うかハッキリ分らないが、電気やインシュリンでショックを与えるとある種のものは正常に返るというようなことを心得ている。どうも、失礼。しかし、私は精神病のお医者さんをヒボーするつもりではないのです。要するに精神だの神経の作用や構造やネジのグアイなどが複雑怪奇すぎるという意味です。
私が一ツ気に食わないのは、ちかごろ潜在意識ということで、人間の心をむやみやたらに割りきりすぎるということです。人間の心を潜在意識に還元すれば、いかにも単純なものですね。下世話に、人世万事、色と金だという。これは慾望の方ですね。このほかに名誉だの力、才能などというものが、からむ。潜在意識の場合も同様で、これをめぐって人間同志のマサツがある。潜在意識というものは、公式的にハッキリしたもので、公式は万人に通用し、ただその人の生活史とか環境というものによって、組合せや脚色がちがうというだけで、根本の公式は変りがない。
そこで、ちかごろのある派のお医者さんは、病人の潜在意識をひきだし、生活史や環境やマサツを調べあげて、いともアッサリと病因を割りきる。
なるほど、そういう場合もたしかにあるでしょう。人間には苦労のタネというものがある。暴飲暴食が胃病のモトと知りつつ暴飲暴食して胃病になるのと同じように、苦労のタネにクヨクヨ悩むのがいけないと知りつつ神経衰弱になるようなこともある。フロイドは病人の潜在意識をひきだし、それを病人に語らせたり指摘したりして開放することにより病気を治すことができるというが、私は信用しませんね。近代人はたいがい自分の潜在意識を自覚していますよ。そんなものを開放したって病気が治る筈はない。それを知りつつ病気になっているのだもの。
潜在意識というものは、いわば本音というものでしょう。それをめぐって複雑怪奇にモヤモヤと現実がもつれている。しかしそれが人生の何よりの根本問題だから、自制心を失えば本音を吐く。酔っ払えば本音をはく。それと同じように、アミタール面接をやると潜在意識を語る。医者は教科書の方法や順序通りに潜在意識を学術的にひきだすことによって、その病因をさぐり当てた気持になるかも知れないが、自制力がない時には本音をはくのが当り前だというだけのことで、その潜在意識や本音というものが病因とは限らないでしょう。潜在意識は万人にあるから、健全な人間にアミタール面接して、キチガイの心をあばくのと同じ方法を試みてごらんなさい。結局キチガイと同じ結果が現れますよ。あらゆる人間がキチガイだという結果がでますね。潜在意識をひねくりまわしても、精神病を解くことはできッこないです。
むろん、ある種の精神病は、潜在意識をひきだして判明しうる苦労のタネからズルズルと衰弱にひきこまれている場合もあるでしょう。しかし、それが精神病の誘因であったにしても、要するに、なにか生理的な故障が起らなければ、幻視も幻聴もでる筈がないのさ。つまり機械のゼンマイだかどこかの部分が狂わなければ、そうなりはしない。潜在意識を解放したって病気は治らん。機械の故障を治さなければ病気は治りませんよ。
しかし、分裂病の場合、逆行性健忘症の場合、機械の故障がどこにあるか、ということは、まだまだ、とても分りそうもありませんね。夢を見るのはどういう仕掛によるか、ということだって、全然分らんのだもの。否、眠り、ということすら、どこがどうしてどうなるのだか、それも分らんらしいね。幻視幻聴がどういう仕掛で起るかということは、分らんのが当然ですよ。記憶のヒキダシがどこにあるか、なぜ忘れるか、その生理的な故障の在りかは、とても分りませんね。
私がお医者さんをパチンコ屋のオヤジだと云ったのは、そういうワケです。お医者さんには機械の故障がどこにあるのか分らないのだ。ただ、そうやると一時正常に返ることがあるようだから、電気やインシュリンでショックの療法をやる。お医者さんが悪いわけではないでしょう。パチンコ屋のオヤジはちょッと勉強すればパチンコの機械の構造をのみこむことができるが、お医者さんの場合はいくら勉強してみても、目下のところはとてもとても機械の構造を見破り、故障やその原理を発見する見込みはありません。相手が悪いのです。精神病のお医者さんは楽観的かも知れないが、私は精神病の謎は永遠に解けないと思っていますよ。永遠に。というのは、つまり人間というものは恐らく永遠に、好む時に好む夢を見るような、自分の身体や精神のネジや合カギを持つことは不可能だろうという意味です。構造が分らなければネジも合カギも持てやしません。そして、精神を構造している機械の原理が分れば、人間は破滅さ。そうでしょう。人造人間で間に合うのだから。人間はすでに人間でなくて、機械ですよ。
要するに、精神病というものは、いつまでたっても、当てズッポウの療法以外に見込みがないね。いろんな方法を発明し、試みて、治る率を高めて行くことができるだけの話だろうね。
要するに、潜在意識を解いたって、病気の治療に関しては何の役にも立たない、ということだね。むしろ、潜在意識などというものに拘《こだわ》ることは、一ツの障碍にすらなっていますよ。なぜなら、原因を潜在意識にもとめると、人間の精神は全く必然というものになりおわり、したがって、精神病学上にはまったく人間の意志というものを認めていないようなテイタラクになり易いのですよ。どうやら精神病の先生は意志ある人間がおキライのようだ。
人間はみんな同じ悩みがありますが、しかし、みんなキチガイになるわけではない。そして、何がキチガイになることを防いでいるかというと、結局は意志ですよ。これ即ち、本能的な、潜在意識的な、原人的な必然の流れに反逆するところの力です。キチガイになることを防ぐには、意志の力にたのむのが最上でしょうね。私はそう信じていますよ。
私は電気やインシュリンショックはやらなかったが、持続睡眠法というのをやりました。強い催眠薬を用いて一ヶ月ぐらいコンコンとねむります。ねている最中には食事のたびに起きて食事したり、回診の先生と話を交したりします。もっとも全然コンコンとイビキをかき通してねむりつづける人もありますね。こういう人には看護婦が食事をたべさせてやるそうです。私はそれほどではなく、起きて食事したり先生と対談したりしていましたが、覚醒して後は、それが全然記憶にないのですね。アミタール面接というのは治療じゃないから、こんなに長期に持続して眠らせるわけではないでしょうが、眠らせて対話するのは同じことでしょう。人間は催眠薬でねむりつつ、ふだんと同じように対話したり、多少の生活をしたりできるものですよ。そして目がさめると、それを記憶していないものです。私は目がさめて、たった一日ねむったと思ったら、新聞の日附が一ヶ月ちがっているので、だまされていると思った。もっとも、病院へ入院し、ねむる療法をするということを知らされていたので、やがて納得はできました。それ以前に、アドルム中毒の時にはそうとは知らないから、たった二三時間ウトウトしたつもりで目をさますと、三日も五日もねているのです。私はそれが信用できなくて、新聞の日附も郵便の日附もニセモノで、みんな人々が共謀して新聞偽造の手数をいとわず私をたぶらかしているのだと思いこんでいました。また、ねむりつつある時には夢の中でいろいろの行動をしていました。非常に現実的な行動をしています。それが夢だということが目がさめても分らない。どうしても眠る前に、今朝とか昨日とか、そういう行動をしていたとしか信じられない。つまりそれほど差しせまった現実的な夢ばかり見るわけです。たとえば友人に会って金策をたのんだり、女房が悪い病気になったと思いこんで(というのは、女房が病気になったと私に打ちあけた、それも実は夢だったが、私はそれを二年間も本当に女房がうちあけたことがあったと思いこんでいました)親しい医者のところへ治してやってくれと頼みに行ったり、借金を払いに行ったり、夢という夢がそういう身に差しせまったことばかりで、それが夢だという考えは全然心に浮ぶ余地がない。で、私がそれを人に語るとトンチンカンで、またオレをだますか、と、それでよく逆上したものであった。人々が共謀して私をだましているとしか思われなかったからです。どうも、これは健忘性のアベコベのような現象だね。夢の中で現実を生活し二ツが合一して区別がつかず、まったく完全に一ツの生活になっているのだからね。しかし、子供が眠りから目をさましたとき、時々こういう状態になるようですね。もっとも、すぐ気がつくらしいが。
泥酔した翌日、ゆうべ酔ってしたことに記憶がなくて苦しむこともある。私は酔っ払って見知らぬ街へ歩きこみ、小さな酒場へはじめて行って、その女に惚れたことがある。翌日酔わずにその店を探したが、どうしても分らない。たしかに、ここの筈だが、と思って、同じ店を三度も四度もまちがえて笑われたことがあったね。その日はあきらめたが、泥酔して出かけると、きわめて自然にちゃんとその店へ辿りつくのである。泥酔しなければ、どうしても違った店へ行ってしまう。違い方もいつも同じだ。酔えば自然に辿りつく。何回となく二ツのことをくりかえしたことがありましたよ。そのうちに酔わなくとも行けるようになりました。お酒のみの方は思い当りはしませんか。
ある時間の記憶を失ったり、酩酊というモーロー状態にならなければ辿りつくことができなかったり、精神病の状態と同じようなことを我々の日常に経験するのは決して珍しいことではないね。もっとも酩酊も一種の精神異状に相違ない。
山口さんの場合は、失踪してから電話ボックスで記憶を失った時まで四ヶ月ぐらい経過しているようだ。失踪した時の精神状態、そして四ヶ月間の精神状態はどうだったのだろう。その時間に何をしたかということはアミタール面接でもハッキリとは分らないのか知らん。それが分って、その期間に彼と接した人の手記があると、素人にも何とか手がかりがあるが、この手記からは、てんで判断の仕様がありません。
ただ、この手記から分ることは、彼の判断力はほぼ正常なものだが、電話ボックス以前の記憶だけが失われているということだけだ。
「判断力があって記憶だけないのは信じられん。ニセ病人だろう」
と云った人が数人あった。別に信じられんことはない。我々の健全な時でも、ド忘れしたり、ちょッと記憶だけ霞んだりということはママあって、思いだそうと焦ってもなかなか思いだせないことは常時あることだ。我々の日常生活にそのキザシがあるということは、病気の際にはその完璧なものがありうるということで、人間の心の故障というものは、元来そういうようなものだ。もっとも、キチガイは必ずしも単純ではない。気が狂ってる最中でも色々と策をめぐらし、ひどくセチ辛い複雑な精神生活をしているもので、潜在意識的に一本の精神生活をしていると思うと大マチガイさ。
山口さんの場合は、電気ショックでカンタンに治りそうだね。記憶喪失は一種の遁走のハタラキだと物の本などには書いてあるかも知れんが、現実から遁走
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