のなのさ。当然あってしかるべき映写幕も蓄音機ももたない。キチガイは文化生活をしているらしいや。健全な肉体とは未開人のそれで、キチガイは文化人。芥川の河童かなんかが言いそうなことだね。もっとも、キチガイも自由自在に過去と対面できるわけではない。過去が、または相手の人物が、自ら映写幕に姿を現すのである。毎日きわめて規則的な時刻に。または唐突に。
 とにかく人間には、空間の映写幕と同じように投影できるものが内在している筈なのである。しかし我々が健全に目をさまして生活している限り、それに記憶を投影して視覚で捉えることが不可能なのである。健全な人間の精神機能というものが、これぐらい頼りなく故障だらけのものであることが分れば、健全な精神というものは、あんまり恃《たの》みにならないものだということが明らかでしょう。もっとも、それを恃みにする以外に手はありませんね。河童の優位を認めるわけにもいきますまい。
 第一、睡眠が変テコだね。妙テコレンなものが存在するもんですよ。我々は、とにかく毎日何時間ずつ完璧に過去も現在も忘失しつつありますよ。だいたい健全な人間というものが甚しく妙なものであるらしい。
 山
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