は。
 しかし、夢の中ではハッキリ視覚的に彼と対面できるのですよ。だから、印象とか記憶というものは、視覚的にも身体のどこかにハッキリ残っているわけだが、夢と幻覚以外では視覚的に思いだすことが不可能だというわけですね。しかし夢も幻覚も意志によって見ることができないのだから、ハテサテ、人間の能力というものは窮屈なものだね。写真機よりも正確な現像能力があるくせに、自分の撮影したり録音したトーキーを頭の奥の部屋のヒキダシへ入れてカギをかけてしまいこみ、自分の意志でとりだして眺めることができないのだね。きわめて偶然に、夢やキチガイ状態の幻覚に際して見ることができるだけさ。
 キチガイというものは自分の頭のヒキダシのカギをはずして、自分の撮した写真を眺めたり、過去と対面することができるらしい。その点に関する限りは、彼は不可能や不可思議を行っているのではなく、きわめて当然なことをやっているだけの話であり、普通の人間にはその当然の能力がないだけの話さ。つまりキチガイには夢と同じように空間に投影し、現像する映写幕があるのだが、普通の人間にはそれがないのだね。
 健全な人間というものが、恐しくハンチクなも
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