したい気持は山口さんだけに限らない。現実を遁走するにも、女房を愛すことができなくて遁走することもあるだろうが、むしろその逆の方が遁走力が強いらしいね。たとえば、女房子供を愛しているが、自分に生活力がなくて、女房子供に満足な生活をさせてやれない、というような罪悪感から遁走の方向に心が向くというような場合だね。むしろその方が遁走の原動力として多く在りうることらしいや。だいたい心のハタラキの基本的な公式というものは、カンタンなものだ。そして、そのような遁走の期間中の行動または意識上に女というものが出てくる際には、それは恋人の女ではない場合がむしろ普通だろうね。彼の正常時に於ては、犯罪を犯して女房子供を養うようなことはできなくて、彼は熱心に職を探したがその職もない。すると彼は遁走中に犯罪を犯して女を養うという形で、女房子供にみたしてやれなかった償いを果そうとしている。つまり遁走中の女や犯罪は、女房子供に対して自分が無能力であるということの自責の果だ。そんな風なこともあるだろう。健全な人間の心理にも、そういう償い方はフシギではない。もっとも、そんなにもってまわったものではなく、単純に「性と犯罪」
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