らん。それが分って、その期間に彼と接した人の手記があると、素人にも何とか手がかりがあるが、この手記からは、てんで判断の仕様がありません。
ただ、この手記から分ることは、彼の判断力はほぼ正常なものだが、電話ボックス以前の記憶だけが失われているということだけだ。
「判断力があって記憶だけないのは信じられん。ニセ病人だろう」
と云った人が数人あった。別に信じられんことはない。我々の健全な時でも、ド忘れしたり、ちょッと記憶だけ霞んだりということはママあって、思いだそうと焦ってもなかなか思いだせないことは常時あることだ。我々の日常生活にそのキザシがあるということは、病気の際にはその完璧なものがありうるということで、人間の心の故障というものは、元来そういうようなものだ。もっとも、キチガイは必ずしも単純ではない。気が狂ってる最中でも色々と策をめぐらし、ひどくセチ辛い複雑な精神生活をしているもので、潜在意識的に一本の精神生活をしていると思うと大マチガイさ。
山口さんの場合は、電気ショックでカンタンに治りそうだね。記憶喪失は一種の遁走のハタラキだと物の本などには書いてあるかも知れんが、現実から遁走
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