て来て、いろ/\ときゝだすと、そのまゝわたくしを忘れて飛んで行きました。よってくる人はこれと大同小異でたいてい興味だけを露骨に示し、傷に苦しむわたくしをどうしてやろうという親切心は感じられません。一緒に難にあった男の方も、一人々々にきくとテンで無責任なその場逃れのばら/\の答えより出来ない国鉄員に憤慨して、じぶんで自動車を雇って来ました。それで横浜まで送って戴きました。横浜駅で、傷の痛みに坐りこんだわたくしを二人の女学生が親切に両わきを抱えるようにして、切符まで買って電車に乗せてくれました。お二人共、蒲田の駅前の方だとかで、その日にあったたゞ一つの心のあたゝまる事です。
家につくと新聞記者が何人もきました。頭が焼けて口を利くのもおっくうなのに質問だけしつこくして帰ります。国鉄からは音沙汰無しです。やっと翌日(三十日)の午後、公安員と称する人が、「今日は調査にやって来た。見舞いの方は明日くるでしょう」と、いって参りました。その後北鎌倉の家のほうへ東鉄の方が見舞金を持っておいでになったという事ですが、その折、わたくしの入院先をつげたそうですが、誰も見えません。また良人が、怪我人をひとりで帰した事を責めると、自動車で全部送り届けたとハッキリいったそうです。その後家へは、遺留品を調べに来いの、また、わたくしの荷物の中に戸籍謄本があったので、死んだものとして、死体を引取りに来いのといって来たそうです。
[#ここで字下げ終わり]
まったく、ひどい事件でしたね。三鷹事件の時もやりきれなかった。電車の下に人がひき倒されている現場で、それを助けよう、ひきだそうという処置は念頭になくアジ演説をやるという非人間性が何よりも目をそむけずにいられぬ。この一事だけでも、私は共産党を憎む。かような党員の非人間性に批判を加える態度はミジンもなく、むしろ闘志を賞讃しているのだからね。やりきれないよ。今度の場合もよくよくデクノボーがそろっていたものだ。写真を見ると、現場には工夫がたくさんいるが、みんな燃えている電車をすぐその二三間の近いところで見物しているのである。運転台と客席の通路のドアをあけ忘れた運転手の頭の悪さ、ボンヤリ立って見ている工夫たち。生きて焼かれつつある人々を二三間のところに立って見ているだけというのがどうにも解せないね。
あまりのことに逆上したと云えば、それも一理はある。しか
前へ
次へ
全16ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング