、一生平穏でありうるかどうか。そういう予言は全然できません。
桜木町生残り婦人の話 沼田咲子(廿九歳)
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わたくしと良人と恵里ちゃん(当歳の赤ちゃん)とは、京橋のわたしの実家に行くべく北鎌倉を出ました。途中桜木町に買物があり横浜で乗換える時、わたくしはそれまで抱いていた恵里ちゃんを良人に渡し、わたくしは良人の荷物を受取って、来ていた電車にのりました。瞬間ドアーが閉まり、一足遅れた良人と恵里ちゃんは残されました。どうせ後から来るのだからと気にしませんでしたが、あとで、もしわたくしが赤ちゃんを抱いていたなら、と、ぞっと致しました。
わたくしは最前輌の中央部に乗っていました。パチッ! と、激しい音、はっと、天井を見上げると青と黄と赤のまじりあったなんともいえぬ恐ろしい光がさッと走りました。つづいて怒声、叫声、悲鳴、車内をゆする波にわたくしはもまれ、危ない! という感じと共に、窓や出入口を見ました。それは開きません。後は突飛ばされ、押し返され、二度ほど人の上に転びました。わたくしの眼にはその時、窓から半分からだを出したまゝ、またその上から別の人が首を突込みするので、お互は出られず足をバタ/\させている人々の姿が映りました。そして洋服に火がつき転がった人の上を飛ぶような恰好で踏み越える人をみました。けむりで眼が見えなくなり、熱気と臭気に胸がつまって、わたくしは倒れそうになりました。「駄目!」とひきつるように感じ「恵里ちゃん!」と、いうじぶんの叫びになんども意識を取戻しました。その時、わたくしは宙に白い足を見て、それに本能的に飛び付きました。それは窓から出た人の瞬間の姿で、わたくしがつゞいて逃れたのです。窓の上層部のサンが焼け、ガラスが落ちたのだと思います。頭と背とサンを掴んだ右腕全体が焼けていますから。
はじめわたくしは国際病院にやらされました。傷の痛みに早く治療をしてくれと頼むと、国鉄員は邪険な激した口調で、
「こっちは物のいえる人に構うどころではない。死人の事で一杯なんだ」
と、いゝました。十全病院に廻るよういわれました。そこで赤チンをぬられ繃帯をしてくれましたが、後で、わたくしが近所の医者で治療を受けた時、医者も、大やけどに直接赤チンに繃帯とはと、その手当の粗雑さにあきれていました。新聞社の人が自動車で東京まで送るからと寄っ
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