くないね。私がこのような経験に会ったのは、待合だね。九段にひどい待合が一軒あった。客が風呂にはいってる時、ポケットやカバンの中を改めて所持金みんなしらべるらしく、いつも持ってる金額のうち自動車質が残る程度の大勘定をつきつけられた。私の友人達もみんなやられて、大勘定に悩まされたが、お客の方はほかへ行けば済むことだから、誰も行かなくなった。しかし我慢できないのは土地の同業者で、他の待合と芸者連が結束してダンガイし、この一軒の待合がぼるために九段全体が客を失い悪評を蒙るに至っていると満座で吊し上げを受けたそうだ。いかにぼッたか分るのである。
 三業組合というようなところでは、待合芸者結束してボリ屋の一軒を吊し上げるという壮挙を敢行して土地の自粛をはかることはありうる。なぜなら、待合も芸者もその土地についており、お客もその土地につくもので、土地の繁栄は業者全体の繁栄に関係するから、一軒のボリ屋によって土地についた客を失うことを怖れもする。
 しかし、カフェー、新興喫茶、それに女給というものは、こうではないね。女給はその土地にもその店にもついてやしない。転々とどこへでも身軽に行けるのだ。だから、その店がいくらボッたって、結束して店を吊し上げる必要はない。第一、土地についていないから、結束することも不可能である。
 銀座のバアは、お客も経営者も女給もあんまり変動がなく、まア無難だね。
 街頭へでてキャッチするというところは、そのこと自体が違法であるのに、罪を犯しても客をひッぱりこまなければ成り立たんというのだから、ひっぱりこまれた以上は、タダではすまないのは当然であろう。しかし酔っ払いはブレーキがきかなくなってるから、目玉のとびでる勘定をつきつけられた例は、大方の酔っ払いが経験ずみだろうと思う。
 今はどうか知らないが、去年あたりまでは、相当な身なりをしていれば、お金がなくともひっぱりこまれたものだ。外套でも上着でも腕時計でもカタにとって店から突きだす。
 むろんこういう山賊式の商法はほめるわけにはいかないが、この道に山賊ありと知って夜道にかかる方もたしかにいけなかろう。酔っ払いにも罪はあるのさ。つまり、自業自得という奴だね。
 しかし、この古衣屋氏の大勘定には、おどろいたねえ。私はバカげた飲んだくれぶりでは歴戦の勇士で、性こりもない点では人後に落ちない方である。酔っ払って、他の酔っ払いの為し得ない放れ業は数々これを行い、諸方に勇名をとどろかしたものであるが、こういうバカげた大勘定をつきつけられたことはない。
 浅草の浮草稼業の役者仲間に、ハライ魔という言葉がある。私などがその筆頭なのである。酔っ払うと者ども続けと居合す男女をひきつれて威勢よく飲みまわり、威勢よく勘定を払う。翌朝のことは云わぬが花で、とにかくその時は威勢がいいや。ジャンジャンのみ食らいジャン/\払う。人に払わせない。こういう熱狂的人物を払い魔というのである。浅草人種はうまいことを云うよ。ああいう落伍者地帯には、常にピイピイしながら人に勘定を払わせない怪人物が常にあちこちに棲息するのである。お金持ちの集りには、こういう怪人物は棲息していないものさ。
 しかし私のような性コリのないバカ者でも、十名ひきつれて飲みまわっても一晩に七万四千七百円なんてことは、とても、とても、有りうべからざることだったね。たった一軒それに近いのが九段の例の待合であった。
 しかし、この新興喫茶のマネジャー氏の言は痛快すぎるね。こう痛快に云えたらさぞ気持がよかろうさ。今どき客の方から「遊ばせてくれ」と頼む人物がいるようなら、無数の女給が街頭に林立してひしめくことはなかろうさ。だいたいあの客は風態がよくない、とくらア。実に痛快な言葉だね。はじめて現れた風態のよくない客に、注文に応じて、怖る怖る七万四千七百円の品物を出したというが、怖る怖る七万四千七百円だすという手品使いがいるんだねえ。こんなお人よしの手品使いに三日間でも飲食店のマネジャーが勤まったらフシギだね。このセチ辛い世の中に生きているのがフシギさ。
 マネジャー氏の痛快すぎる言い方に対しては私は甚だ反感を覚えるけれども、女給が街頭へ現れて客をひくような商法の店ではカモをオメ/\逃す筈はなかろう。彼氏の店だけのことではなく、客ひきをやる店はみんな同じ山賊商法と心得てマチガイはなかろう。ただ程度を心得てる店と、そうでない店があるだけのことであろう。
 ここに山賊ありと心得たら、近づいてはいけないね。山賊に近づく以上は、してやられても仕方がないという覚悟がいるのだ。
 昔から講談などにもよくあることだが、主家の集金の帰りなどに、バクチに手をだしたり女にひっかかったりして身を亡す。集金に旅立つに先立って、主人とか父母とかが、お前はふだんはマジメでマチガイがないが、酔っ払うと気が大きくなって、マチガイを仕でかす。主家の金を預ってるうちは一滴ものんではいけませんぞ、というような注意をうける。それでもダメなんだね。
 今も私の住む静岡県でミカンの集金人の行方が知れない。彼も出発に先立って、お前さんは酒が腹にはいるとガラリと変る人だから、人様の大金をあずかってるうちは一滴も飲まないように、というような注意をうけて出発している。彼がその夕刻横浜の集金先へ現れた時は、すでに相当の酒がはいってるらしく真ッ赤な顔をしていた。そしそカバンを叩いてここに百何十万円かはいってるんだと威勢のよい見得をきってみせた。そして汽車に乗りおくれちゃ大変だと急いで去ったがそれッきり行方が知れない。たぶん殺されたらしいと目下大々的に調査中だそうだ。
 結局酔って山賊に近づくことがマチガイなのだ。当人にも自業自得の責があることは確かであろう。しかし、当人の自業自得の責によって山賊の商法が合理化されることが有るべきではないね。しかし、現在の警察の取締りぶりには、酔っ払いの自業自得を認めるの余り、山賊の商法の方を合理的に考えすぎる傾きがあるようだ。飲んだくれの自業自得も仕方がないが、山賊の商法は酔っ払い以上に取締るべきではあるまいかね。
 日本の盛り場には山賊が多すぎるよ。愚連隊のアンチャン。そのまた上のボス。それから山寨《さんさい》をかまえて酒をうる商法。
 私のように自業自得を心得、承知で愚をくり返す人間はよろしいけれども、ふだんは善良な集金人的人物に限って酒が好きで、酒をのむと気が大きくなってガラリと一変するというような人は気の毒ですよ。自業自得には相違ないが、盛り場の粛清によって、自業自得の苦しみの何割かを減らすことができるであろう。平凡で善良な人々の一ヶ月に一度、否、一年、一生に一度というマチガイの何割かを減らすことができるのである。私のような常習的のんだくれはとにかくとして、まれに理性を失う人が哀れである。常習的のんだくれは山賊の世界に深入りしないが、たまに理性を失う善良な人に限って、山賊に大きくやられるものなんだね。

     安吾巷談を受売りして千円の罰金をとられた話

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 謹啓、本当はこの手紙は坂口さんに読んで戴き度いと思って書いたのですが、生憎、坂口さんの住所を知りませんので、“安吾巷談”で、時々貴方様のお名前を拝見致して居りましたので、貴方様なら取ついで戴けそうに思い、不躾けと知りながら、厚かましくも、お願いする次第です。
“安吾巷談”を受売りした為に、罰金千円の刑に処せられる結果になったと言う私の、農村での笑えぬ喜劇をお知せします。
 それは昨年の今頃、当地に地方事務所の社会教育委員が来られて、青年団員と、村の有志を集めて座談会を持ったことが有ります。其の席で村の有志の一人が“村の発展は青年の犠牲的精神[#「犠牲的精神」に傍点]の発揮の外はない”と言う様なことを発言、皆がそれに賛成されたので私が、“今までは国の為、天皇の為の犠牲、今度は村の為の犠牲か、もう我々青年は犠牲なんていう事は真っ平だ”と発言した処がさあ大変、“今まで天皇様は国民に犠牲を求めたことはない、それは暴言だ、取り消せ”とか何んとか、幾人もの天皇護持者連中にまくしたてられたので、私は浜口さんの“野坂中尉と中西伍長”よりの天皇制問題の処をあの儘受売り、ついでにガンジー流の無抵抗主義より再軍備反対論にまで発展させて論争を終えて帰えったが、翌日になって見たらこのことが村中に尾ひれがついて広まり、“小山田は天皇様を馬鹿と言った、どうも前からおかしいと思っていたが、もう奴は共産党に間違いない、あんな奴は村から追出せ”と言う非難がごう/\、そして毎晩の様に遊びに来ていた青年や、中、高校生達を、“あんな奴の処へ遊びに行くと赤く染まるから行くな”と停め、会社にまで転勤を要請して来たから驚くじゃあ有りませんか、(申遅れましたが私は共産党は好きではなく、真の思想的の自由主義者であり度いと願っています。)こんな非難は私は馬鹿らしくて相手にできませんし、会社も労組も私と言う人間を知っているので、時がこんな下らんうわさは解決するだろうと、無視して呑気に構えていたのですが、田舎の人のしつこさは予想外でしてね、私を落し入れる好機をねらっていたのです、そして電産のレッド・パージの時にはこの時こそと策動したのですが、勿論これも駄目、そして私の多血症をねらってか、或る日、“明日県道修理の義務人夫に出ろ、出られなければ皆にお茶菓子代を買え”と言って来たのです。この様なことは私がこの土地に来るまでは毎月一回位あったのですが、私が青年団をバックとして、運動し昨年より廃止していましたので、村の大ボスと大口論になり、相手よりケられたのでカッとなり二つなぐり返した処が鼻血が出、そのことを種に待ってましたとばかり告訴され傷害罪として罰金千円取られたという訳です。
 駐在巡査が酔っぱらって盆踊りの中にピストル片手にゆかた掛けで暴れ込み、誰彼かまわずなぐり付けたり、中学校の教官が村の有力者の子供を除き全部なぐったり、私に鼻血を出されたボスが、ある矢張り義務人夫を使う工事で働きが悪いと一人の老人を腰の抜ける程の暴行を加えても平気な村民達が、私の場合だけ問題にしたのは私が他処者、その他何かあるかも知れませんが、坂口氏の、“天皇はお人好かも知れないが、聡明な人間ではない”との言を受売りしたのが最大の原因です。
 こんな田舎のチッポケな出来事貴方方には興味がないかも知れませんが、私は書く事に依っていい様のない憤りが静まる様な気がしたので書いて見ました。
 私はこの事に付いて坂口さんのご感想をうけたまわり度いとは思いますが、お多忙でしょうから遠慮致します。
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 文士というものは未知の読者からいろいろの手紙をもらうものだが、この手紙にはおどろいた。巷談や日本文化私観、堕落論などの受売りして論敵をギャフンと云わせました、というような無邪気な手紙は三四もらったことがありましたね。その論敵というのは、たいがい共産党で、共産党員の論敵をバクゲキするには私の巷談ぐらいで結構役に立つものらしいや。したがって私のところへは田舎の共産党文学青年から相当数の脅迫状じみたものが舞いこんでくる。彼らは私の説を受売りした論敵にバクゲキされたせいかも知れない。
 この手紙は私に多くのことを教えてくれた。東京周辺の居住者には、本当の田舎の生活は分らないものだ。
 都会の青年たちにはかなり強い反戦的気風を見ることができる。しかし、日本人の本心をたちわった場合、好戦論、反戦論、どっちの気風が多いかというと、私はむしろ好戦的気風の人間が多いと判断している。
 好戦的気風のよってきたるところは、今戦争がきてみやがれ、一もうけしてみせるぞ。この前の時はずるい奴に先を越されてもうけ損ったが、今度は要領を覚えたから、畜生メ、今度こそ日本一の成金になってみせらア。サアこい来たれと手ぐすねひいて戦争を待っていらせられるのが主である。
 金へん糸へんの現役は云うまでもない。追放の前将軍が戦争を待機するのも理のあるところで、フシギはないが坊主だの女給だの
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