的でいらせられるらしいが、一人ぎめの人生観が硬化状態にあって、ユーモアを解し、市井の人情を解する柔軟性がない。自分の殻を破ろうとしたり、人を理解しようとするところが足りない。すでにコチコチにかたまって発育のとまったところがあるようだ。
だいたい御婦人の多くは結婚すると婚家の風にコチコチにかたまり易いものだ。もうそうなると、婚家以外のところでは通用しないような発育の止った状態になるが、婚家に通用する限りは、婚家にとってはよろしいわけだ。
ところがこの夫人は、結婚に先立ってすでにコチコチに殻ができて発育の止った硬化状態を呈している。こういう夫人と結婚し、そッちの家へ住みこんだクリーニング氏は、苦しかりし日々であったろう。
クリーニング氏の義兄がすこし酔って夫人に向い「男のバカと女の利巧はちょうど同じだ、生活力は男にかなわないのだから良人を大事にしろ」「亭主の好きな赤烏帽子という意味を知ってるか」と、云ったそうだ。こんなに侮辱されてるのにクリーニング氏が何も云ってくれなかったからさびしく思った、という夫人の理解力の硬化状態の方がさびしいねえ。
これは侮辱じゃありませんねえ。むしろ義弟の新夫人たる人への愛情が主たるものです。市井人のかなり多くは自分の弟だの義弟などの新夫人たる人にこれ式の愛情で新婚のハナムケの言葉としがちなものですね。それにとかく酔っていると、特に、こんな表現をしがちなものだ。つまり市井人というものは、酔いっぷりや、酔って言うことが概して似たりよったりのものですね。巷間いたるところにこれ式の酔漢の愛情を見かけることのできる性質のもので、当時二十九という小娘とちがって立派な成人でありながら、ありきたりの市井の人情風俗に知識も理解もないのが淋しいねえ。
彼女の姉ムコ氏の証言によると、彼女は神経質で、気に入らない時には姉ムコ氏の顔を見るのもイヤだという程だったそうだ。ツキアイにくい女なんだね。
結婚直後クリーニング氏が下痢したので、彼女は感染してはまずいと板の間にフトンしいてねたそうだねえ。衛生思想の行きとどいたところは実に見るべきであるけれども、亭主が伝染病になった時にも真にカイホウする者はその妻女である、という、これは規則や法律ではなく、単なる市井の通俗人情にすぎないけれども、かかる通俗人情が完璧にそなわらない純粋理性的細君というのに対しては、その亭主たる者は彼女をいかにモテナスべきであるか? かのイマヌエル・カント氏すら純粋理性を哲学的にはモテナスことができても、すでにその細君には散々だったんだからね。わが哀れなクリーニング氏がいかにモテナシに窮し、また、日夜モテナシに腐心するところがあったか。女とは何ぞや! 彼氏はついにかかる大いなる疑問についてすら数々の不可決[#「不可決」に傍点]の思索を重ねたかも知れん。
哀れなクリーニング氏よ。御身も結婚前は敵がそれほど純粋理性的存在であるとは知らず、軽卒にも、また、楽天的にも、シャッポもかぶらず、アロハをきて、かの怖るべき理性的存在と一しょに東劇観劇とシャレたそうだね。時は昭和二十三年盛夏、アロハは流行の花形だものな。マーケットのアンチャンだけがアロハを着ていたわけではないさ。判事だの大臣だの文士だのはアロハを着なかったとはいえ、市井の若者にとっては流行は第一の美であるのさ。老人どもは常に彼らの若かりし日の流行を追想して現実に対しては悪罵とクリゴトをのべ、しかし、健康なる若者は常に彼らのみの美や流行を一身に負うべく、人間の歴史ある限り、市井の若者とは常にそういうもんじゃね。アロハそのものが美であるか、ないか、そういうことと問題は別個じゃよ。
たしかに彼氏は軽卒であり、楽天的でありすぎた。しかし、アロハをきるとはいえ、マーケットのアンチャンとちがって、彼はそれまで女というものを知らず、金瓶梅もチャタレイ夫人すらも読破した形跡がないのだね。結婚初夜に新妻をモテナス何らの技術にも不案内であったそうだ。
中山しづ女の答弁書に曰く、
「羽山はなぜか夫婦の行事をなさず特に新婚の楽しみなるものをなさしめなかった。しづは処女にして、夫婦の行事がいかなるものか、いかにして行うかを知らず、自ら要求する術も知らず、むしろこれらの事柄は男子たる羽山が積極的に指導し愛撫すべきことは争うべからざる公知の事実である。それにも拘らず原告は故意にそれらの指導をなさず、温く抱擁することもなく、いわば木石の如き態度で新妻に接しもって処女を犯した」(下略)
名文だね。争うべからざる公知の事実だ。そうだ。争っちゃア、いけねえかな。パンパンを取りしまるとは何事だア! チャタレイ夫人を起訴するとは何事だア! だから一人前にアロハなんか着やがってるくせに新婚初夜に木石じゃないか。もって処女を犯す、か。どうも実に、カストリ雑誌の唄い文句じゃなくて、レッキとした訴訟の答弁書なんだからね。新婚初夜の行事に、処女を犯すという表現は、カストリ雑誌以外ではチト無理でしょう。もっとも、理窟で云えば、初夜は処女を犯すものには極っているが、そのために大目玉をくろうことは、きかなかったね。
こういう世界的な大文章で答弁するというのは、要するに、相手を反撃する事実自体に反撃力がそなわっていないせいだろうね。要するにさ。原告たるかのアロハはあまりにも経験深く老練にして、初夜に処女たる被告を混乱懊悩せしめ、神経質にして潔癖なる被告の信頼を失うに至りたり、というような文章だったら、チットモ大文章というものじゃなくて、とにかく語られた事実の中に真実の力量がこもっているのさ。
アロハ氏の曰く「時に媚態を呈して奥サンに懇願した」とね。アッハッハ。しかし、アロハ氏の苦心察するに余りあり。席を別にして板の間に寝られたり、彼氏の新婚生活は日夜に不可解の連続で、まったくどうも神経衰弱気味にもなろうというもの、彼氏が慰藉料を請求したい心境になったのは、同感せざるを得ないのである。
しかしさ。判事氏の云う如く、たしかにアロハ氏の童貞には値段がないだろうね。失われた童貞にもしくは童貞を失ったことの精神的損害に慰藉料を請求したって、元々値段のないものにその失われた損害を払って貰えないね。しかし、童貞を失ったこととは別の精神的な損害に対しては、どうだろうね。以上私が大ザッパに述べたところからでも、アロハ氏の方が被害者の立場にありと私は見る。新婚に破綻した以上、夫婦どちらもその悩みの切なさは先ず同格であるにしても、被害者たるの立場はアロハ氏なるべしと私は見る。この精神的な損害が慰藉料になるか、どうか、これは問題のあるところだろうと思うが、私は現行法律の判例を知らないから、法的に何とも判断はできない。
判決によると、訴訟費用はこれを十分して女がその一だけ負担し他の九は男が支払うとあるが、私は精神的に被害者たる原告に慰藉料をやることができなければ、訴訟費用はまるまる女に負担させてせめてツグナイとさせるね。アロハにその十分の九まで負担させるのは残酷ではないかねえ。私は被告たる純粋理性的存在よりも、原告たるアロハ氏の方に甚しく多くの同情すべきものを認めるのである。
しかし市井に、また農村に、こういうチグハグな結婚の例は少からずあるだろうねえ。そして訴訟も起す分別なく涙をこらえている男女がタクサンいることだろう。そういうモロモロの場合のうちで、アロハ氏は別に女房をひッぱたいたわけでもなく、刃物をふりまわしたわけでもなく、さればとて独立の生活能力がないわけではなく、チャンと仕事は一人前で、女房の生計をも負担しているようであるから、哀れ悲しく無気力ではあるが、決して多くの落度する人間の部類にはいらないようだ。忍従したのは明らかに彼の方であった。
もしも私が判決を下すとすれば、訴訟費用は被告たる純粋理性的存在に負担させ、二ヶ月間の損害三万円のほかに、その二ヶ月間女房がアロハ氏に扶養せられた食いブチなにがし、小額といえども返還させて、被害者たるアロハ氏の不運なりし新婚生活の労に報いる一端としたいね。
さて、最後に残ったのが、結婚初夜に於ては男子は木石の如く処女を犯すべからず、これ争うべからざる衆知の事実なり云々という大文章の問題であるが、これは法律じゃア解けそうもないねえ。大岡越前かなんか粋な旦那がいて、原告のポケットの中へそッとチャタレイ夫人でも忍ばせてやるのがオチであろうが、すると忽ちどこからともなく検事が現れて、ワイセツ文書ハンプの罪というカドによって越前守がからめとられてしまう。クワバラ。クワバラ。
一晩に七万四千円飲んだか飲まないかという話
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新興喫茶でボラれたという杉山博保(三十一歳)の話
いや、おどろきましたね、七万四千七百円の請求をされた時には。七千四百七十円の間違いかと思って、何度も見なおしました。せいぜい二十本ものんだかなと思っていましたからね。酔うと、大体が気が大きくなる方で、威勢よく注文したことはしたんですが、酒が六十六本、ビール七十八本、お通し六十三人前、イセエビ五皿、タコ二十八人前、マグロサシミ二十五人前、果物五皿、シャンペン一本、スシ十人前、それにサービス料二割――
仕方がない、はらいましたよ。なにしろ、現ナマはもっていたんですからね。だが、酔いも消しとんじまいました。自分の金じゃなし、しがない古衣商、それもお客からあずかった金でした、どうやって返そうかと思うと気が滅入るばかり、シャクにさわってならない。そこで、駅前の交番へ、かくかくと訴えたわけです。自分から入ったわけじゃなし――そうです、渋谷駅前で引っぱられたんです。
渋谷宇田川町、サロン春のマネージャーは語る
ボッたなんて、とんでもない。大体、あの人は風態がよくない。こんなところへ来るようなタイプではなかったようです。女給だって、引っぱっちゃ、いませんよ。あんな客は相手にしません、むこうから、「遊ばせてくれ」ともちかけてきたんです。だから、三十万もっているの何のと強がっていたんですが、どうも信用ができない。恐る恐る出してたほどです。それでもキャッチになるんですからね。街頭に立つのが、そも/\いけないというのです。
勘定はきちんとしています。それは公安委員会でお客も認めています。帰ると、その足で、交番へ行ったんですからね。卑怯なお客です。後味が悪いですよ。
近頃はタチの悪い客が多くなりましたよ。散々のんでから、「キャッチしたじゃないか、警察へ行こう」って調子、こっちは弱い立場ですからね。キャッチに出なければ、商売にならない状態なんです。しかし女給のすじはいゝんです。有夫が三割、未亡人が二割、あとは独身ですが親を養ったり、兄弟を学校へやったりする感心な人が多く、みんな生活のためですよ。悪どいことをするという話も聞かないではありませんが、よく/\のところです。
しかし、大体、新興喫茶で、女の子にサービスさせておきながら、ノミ屋なみの勘定ですまそうとする客はヤボですよ。あんな客はもうごめん、こり/″\ですよ、こんなにいためつけられちゃ。
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この話は、私は新聞でよんだ。雑報欄のような小さな欄にでた記事であったが、こういうバカげた話になると、われに神仏の加護があるのか、見逃さないからフシギだね。オールの記者も御同様と見えて、チャンと手記を持ってきました。
この話は身につまされるね。私に限ったことではないが、酔いどれどもは一読ゾッとわが身のごとく肝を冷やし、つづいてゲタゲタ笑いだすところであろう。オールの記者が身につまされて手記を持参した気持は大わかりというところである。
私もずいぶんこんなことをやった。酔っぱらって気が大きくなって、酒場へのりこんであれを飲めこれを食えというバカ騒ぎをやらかす。しかし私一人ということはなく、身辺に必ず二三誰かが一しょにいて、だれかが前後不覚からまぬかれているせいかも知れん。こう目の玉のとびでる大勘定をつきつけられたことはない。
しかし、一人で行くと、よ
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