亭主たる者は彼女をいかにモテナスべきであるか? かのイマヌエル・カント氏すら純粋理性を哲学的にはモテナスことができても、すでにその細君には散々だったんだからね。わが哀れなクリーニング氏がいかにモテナシに窮し、また、日夜モテナシに腐心するところがあったか。女とは何ぞや! 彼氏はついにかかる大いなる疑問についてすら数々の不可決[#「不可決」に傍点]の思索を重ねたかも知れん。
 哀れなクリーニング氏よ。御身も結婚前は敵がそれほど純粋理性的存在であるとは知らず、軽卒にも、また、楽天的にも、シャッポもかぶらず、アロハをきて、かの怖るべき理性的存在と一しょに東劇観劇とシャレたそうだね。時は昭和二十三年盛夏、アロハは流行の花形だものな。マーケットのアンチャンだけがアロハを着ていたわけではないさ。判事だの大臣だの文士だのはアロハを着なかったとはいえ、市井の若者にとっては流行は第一の美であるのさ。老人どもは常に彼らの若かりし日の流行を追想して現実に対しては悪罵とクリゴトをのべ、しかし、健康なる若者は常に彼らのみの美や流行を一身に負うべく、人間の歴史ある限り、市井の若者とは常にそういうもんじゃね。アロハそ
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