というのは、論戦の要領を心得た人間のやることではないね。彼の仮設した公理に攻撃をくらい、こういう場合はどうだ、こういう場合はどうだ、とやられると、一ツくずれただけでも、すぐ足元がぐらつくね。そういう危険な方法を用いて論証するというのは、論戦の初心家のやることで、そんな余計なことを云わなくとも、ただ一クリーニング氏の場合についてのみ判断すればよかったのである。私自身の見解を云えば、私もこのクリーニング氏は童貞を失ったということで慰藉料をせしめる理由がなかろう、と考えている。しかし、ほかの日本の男の子の全部がどのような特殊事情があっても慰藉料を請求できない、ということを、そんなに易々と結論しうるものではなかろう。
だいたい、そんなに易々と全般的な結論がだせて、それで通用しうるなら、裁判の必要はないじゃないか。万事につけてそういう公式をこしらえて、それに当てはめて、これはダメ、これはよし、交通整理のようにスラスラ裁くがよかろうさ。
原告たるクリーニング氏の場合はシカジカの様式であるから慰藉料請求は当らないと判決すればなんでもないものを、慰藉料をもらえるのは女子だけで、男子はもらえない、と男の子全部のことまでズバリと云われると、世間の人はハッとするのが当然だね。クリーニング氏の判決のついでに、男の子全部に判決を下してはチト迷惑だなア。男の子だって色々とあらア。
裁判官というものは、どんなに予測しない事情のゴタゴタが起るか知れん、という前提に立って、常に当面するその物だけを相手に判断さるべきでしょう。すべてのゴタゴタがユニックでさア。公式が先立つわけには行かないでしょう。
クリーニング氏は夫人方の親戚へ住みこんでそッちの家業を手伝っておるから日常は孤立無援で、おまけに嫌っているのは確かに夫人の方だから、まア聟が追んだされると同じような心境を味い、慰藉料ということを思いつくに至ったのであろうが、そのへんの心境は同情はできるね。失われた童貞に対する慰藉料というと、彼氏の場合は妙であるが、その日常のサンタンたる心事に対する慰藉料といえば、それが金銭に換算できるかどうかはとにかくとして、彼氏の悲しかりし結婚生活の日々については同情がもてるのである。彼を嫌った夫人に比べれば、そして身辺に味方のいる夫人に比べれば、彼の心事に同情がもてるのは当然だろう。
夫人はいささかヒステリー
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