の有無というようなことは結婚の支障となるかも知れないが、童貞であるか、ないか、第一、鑑定の仕様がない。しかし、ここに、お金持の姫君の聟たらんことを一生の願いとして日夜イナリ様に願をかけ親も息子も茶だち酒だちして学を修め芸を習いひたすらに良縁を待ちこがれているケナゲな一族があったとします。念願かなってお金持の姫君へ聟入りできたが、哀れにもあんまり気がはりつめたか翌朝から下痢を起して、姫君にいやがられ、再び同衾《どうきん》を許されなくなってしまった。そこで離婚訴訟となったが、かく戸籍に傷がついては、男は再び金満家へ聟入りすることができない。そこで失われた童貞に対して慰藉料請求となった。なるほど。こういう時には問題だね。童貞の値段は大アリかも知れん。
 このバカモノめ! 男のくせに自分の腕で食べようとせずに、金持のムコを一生の念願とするとは何事か! と叱るわけにもいかないね。男子たる者は金持のムコを望むべからず、という規則があるわけではない。聖賢の戒めの中には多少似た意味のことがあるかも知れんが、聖賢の戒めが凡夫の生活を律しうるなら、天下に法律などの必要はありませんさ。
 原告のクリーニング屋さんも、余は金持のムコたらんことを一生の念願とす。かく童貞の純潔を汚されては再び良家のムコたるあたわず。よって、慰藉料をよこせ、と申したてると、判事も若干おこまりだったかも知れん。慰藉料を請求しうるは女子のみにして、男子はこれを請求するあたわずと、簡単に断定するわけにはいかなかったであろう。
 もっとも、六法全書かなんかに、そんな規則があるのか知らん。私の書棚にはかつて六法全書などというものが存在した例がないので何も心得がないが、そんなに憲法の如くにきめてかかった規則はないでしょうね。このクリーニング氏の場合には、請求できなくとも、男の子だって慰藉料を請求しうる場合がある筈である。つまりこの判事氏は表現をあやまっている。このクリーニング氏の場合に於ては、と云うべきであって、男の子は、と全般的に言うべからざることではないかと思われる。
 だいたい裁判というものは、個に即して判定すべきものだ。女の子は、とか、すべて男の子は、とか、全般的に言いきるのは哲学者かなんかのやることで、裁判官のやるべきことではなかろう。普遍的な公理のようなものを仮設して、そこから一クリーニング氏の場合の結論をだす
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