例は少からずあるだろうねえ。そして訴訟も起す分別なく涙をこらえている男女がタクサンいることだろう。そういうモロモロの場合のうちで、アロハ氏は別に女房をひッぱたいたわけでもなく、刃物をふりまわしたわけでもなく、さればとて独立の生活能力がないわけではなく、チャンと仕事は一人前で、女房の生計をも負担しているようであるから、哀れ悲しく無気力ではあるが、決して多くの落度する人間の部類にはいらないようだ。忍従したのは明らかに彼の方であった。
 もしも私が判決を下すとすれば、訴訟費用は被告たる純粋理性的存在に負担させ、二ヶ月間の損害三万円のほかに、その二ヶ月間女房がアロハ氏に扶養せられた食いブチなにがし、小額といえども返還させて、被害者たるアロハ氏の不運なりし新婚生活の労に報いる一端としたいね。
 さて、最後に残ったのが、結婚初夜に於ては男子は木石の如く処女を犯すべからず、これ争うべからざる衆知の事実なり云々という大文章の問題であるが、これは法律じゃア解けそうもないねえ。大岡越前かなんか粋な旦那がいて、原告のポケットの中へそッとチャタレイ夫人でも忍ばせてやるのがオチであろうが、すると忽ちどこからともなく検事が現れて、ワイセツ文書ハンプの罪というカドによって越前守がからめとられてしまう。クワバラ。クワバラ。

     一晩に七万四千円飲んだか飲まないかという話

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 新興喫茶でボラれたという杉山博保(三十一歳)の話
 いや、おどろきましたね、七万四千七百円の請求をされた時には。七千四百七十円の間違いかと思って、何度も見なおしました。せいぜい二十本ものんだかなと思っていましたからね。酔うと、大体が気が大きくなる方で、威勢よく注文したことはしたんですが、酒が六十六本、ビール七十八本、お通し六十三人前、イセエビ五皿、タコ二十八人前、マグロサシミ二十五人前、果物五皿、シャンペン一本、スシ十人前、それにサービス料二割――
 仕方がない、はらいましたよ。なにしろ、現ナマはもっていたんですからね。だが、酔いも消しとんじまいました。自分の金じゃなし、しがない古衣商、それもお客からあずかった金でした、どうやって返そうかと思うと気が滅入るばかり、シャクにさわってならない。そこで、駅前の交番へ、かくかくと訴えたわけです。自分から入ったわけじゃなし――そうです、渋谷駅前で引っぱられ
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