うも実に、カストリ雑誌の唄い文句じゃなくて、レッキとした訴訟の答弁書なんだからね。新婚初夜の行事に、処女を犯すという表現は、カストリ雑誌以外ではチト無理でしょう。もっとも、理窟で云えば、初夜は処女を犯すものには極っているが、そのために大目玉をくろうことは、きかなかったね。
 こういう世界的な大文章で答弁するというのは、要するに、相手を反撃する事実自体に反撃力がそなわっていないせいだろうね。要するにさ。原告たるかのアロハはあまりにも経験深く老練にして、初夜に処女たる被告を混乱懊悩せしめ、神経質にして潔癖なる被告の信頼を失うに至りたり、というような文章だったら、チットモ大文章というものじゃなくて、とにかく語られた事実の中に真実の力量がこもっているのさ。
 アロハ氏の曰く「時に媚態を呈して奥サンに懇願した」とね。アッハッハ。しかし、アロハ氏の苦心察するに余りあり。席を別にして板の間に寝られたり、彼氏の新婚生活は日夜に不可解の連続で、まったくどうも神経衰弱気味にもなろうというもの、彼氏が慰藉料を請求したい心境になったのは、同感せざるを得ないのである。
 しかしさ。判事氏の云う如く、たしかにアロハ氏の童貞には値段がないだろうね。失われた童貞にもしくは童貞を失ったことの精神的損害に慰藉料を請求したって、元々値段のないものにその失われた損害を払って貰えないね。しかし、童貞を失ったこととは別の精神的な損害に対しては、どうだろうね。以上私が大ザッパに述べたところからでも、アロハ氏の方が被害者の立場にありと私は見る。新婚に破綻した以上、夫婦どちらもその悩みの切なさは先ず同格であるにしても、被害者たるの立場はアロハ氏なるべしと私は見る。この精神的な損害が慰藉料になるか、どうか、これは問題のあるところだろうと思うが、私は現行法律の判例を知らないから、法的に何とも判断はできない。
 判決によると、訴訟費用はこれを十分して女がその一だけ負担し他の九は男が支払うとあるが、私は精神的に被害者たる原告に慰藉料をやることができなければ、訴訟費用はまるまる女に負担させてせめてツグナイとさせるね。アロハにその十分の九まで負担させるのは残酷ではないかねえ。私は被告たる純粋理性的存在よりも、原告たるアロハ氏の方に甚しく多くの同情すべきものを認めるのである。
 しかし市井に、また農村に、こういうチグハグな結婚の
前へ 次へ
全20ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング