も十六よりも幼いパンパンがタクサンいるのだ。
 今の少年は家庭に於ては少年であるが、一足出ると大人の門がひらかれていて、同じような経験に遭遇する。パパは会社と家との往復の道のことしか知らないが、子供は映画を見たり、お茶をのんだりしてパパの知らない盛り場を歩くから余計大人の門を実地見学しているかも知れん。しかし、少年には少年らしい理想もあるし、独特の倫理や潔癖を持っているから、大人の門を目の前に見て怪人物の招待をうけても、めったに大人の門をくぐりはしないものだ。オカマ殺しの少年も大人の門をくぐったのはこの日がはじめてのようである。親というものは、子供は案外シッカリしているということを銘記する必要がある。親が酔っ払ってたった一度盛り場へ行くと忽ち怪人物の招請に応じて後々大後悔に及ぶ憂い甚大であるが、子供はそんなに脆くはないものですよ。
 子供を信頼せず、あんまり疑ると、そんなに疑るなら本当にやってしまえ、という気持が次第にたかまり、口実あらば実行せん構え十分になるのが普通である。なぜなら、子供には、潔癖と自制心と同時に、むろん性慾もあるし、甚しい好奇心もある。よき折あって、罪悪感を他に転嫁
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