方が、今日的な特殊性、世相や感情の偏向を私流に指摘したり批判したり、しやすいようだ。来月からは、そういうものをやることにします。佐藤春夫、河盛好蔵両先生の大合戦の如きは(文学界二三月号)、期せずして両先生の稀有な手記が机上に並んだようなもので、これだとこの時評になりうるのだが、両先生の名文が長すぎて、のせきれないし、それを無断で載せると両先生に今度は私が征伐されるし、手記を載せなければこの時評の体裁がととのわないというわけで、人生はままならない。この辺の名文になると、カケガエのない手記であるが、世間一般の手記は、こうはいかないのである。まして、国家だの、政党だの、会社などの言い分は概ね伏せてある秘密があって、それは見当のつかない性質のものだから、団体のモンチャクの言い分をきいて批評するとは更に甚しい浅慮、益々手に負えなくなるかも知れない。手に負えそうなものだけ、やることにします。人のモンチャクを批判するなどと云ったって、誰を啓蒙しようというコンタンでもなく、こんな見方もあります、というお慰みまでの読物にすぎません。ヒマツブシのお役に立てば幸せですが、個人の私生活に関するゴシップの類は取
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