、手がかりがない。たとえば、オカマ殺しの少年がこの手記と同じことを語るにしても、それを私が直接見聞していれば、他の色々のものを感じることもありうるが、この手記だけなら、彼という人間の肉声はどこにもない。他の誰かの手記でもありうるのである。捕縛直後というものは、犯罪事実の調書をとるには適していても、心境を語らせる時期ではないようだ。もしも犯行の事実がこの手記中に於てもっとメンミツに具体的に語られ、又、家出までの口論の模様などが同様にこまかく語られておれば、事実の中から少年の個性を知ることはできる。この荒筋だけの手記からは、彼や彼女の特異なものは空想的にしか知り得ない。犯罪自体がどんなに風変りでも、この程度に型のような心境を語らせた手記では、いくつ集めても根は同じ型通りのもので、この仕事を喜んでひきうけたのは拙者の浅慮であった。
そういう次第で、来月からは、犯罪者の手記はやりません。まだしも税務署の人になぐられた婦人の手記は面白いが、これも一方的では困るのである。両者の手記、それにこの場合は証人の手記も必要であろう。犯罪にくらべれば、こういう紛争、個人団体をとわずモンチャクの言い分をきく
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