母の愛情は知っているのである。愛されながら誤解したり、強いて愛されていないと誤解しようとするムキもあるから、それに比べれば、そうヒネクレてはいないのである。ただ自分を理解してくれない父や兄たちやアニヨメに重点をおいて、主として不満を軸としているのは甘ッたれた気持で、母の愛に傷められた甘えッ子の感多く、つまり低能であるが、これもヒネクレているせいではなくて、要するに甘ッタレだ。しかし、理解して貰えない切なさは、真実切なかった筈だ。どんなに幼くとも、低能でも、その切なさは万人の身にしみわたる悲しさで、変りのあるものではない。若いほど身にしみる悲しさかも知れない。とりわけそういう切なさをヒシヒシ感じる魂は幸福な魂ではないが、しかし、ヒネクレていることにはならない。いわば詩人の魂である。低能だから人を刺殺したが、魂はヨコシマではなかったのである。
 殺人にも色々ある。正義とみて大官を暗殺し、わが身は正しいことを行ったと自負しているような低能もある。同じ低能殺人犯にも甚しい相違があって、この自称英雄が大官を暗殺する根柢には政論の正邪の判断がある筈だが、理論的に正邪を判ずるほど成人になっていながら
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