のは普通に映画のとらない手法だ。喋った言葉の内容から怪しみはじめる手法は普通に用いられるものであるが。
男の上衣が吊るされているので怪しいと思いはじめ、寝てみて男と分ったとは、どういう状況に至って確認したのか、まことに汚いこと夥しい話であるが、「たけくらべ」やスガンさんの山羊や、浄ルリのサワリから、いきなりここへ突入する表裏抱き合せの奇怪さ、一番キレイな幼いものと大人でも顔をそむける汚いものと一体をなしている筋書きが、あまりにも尋常を欠いて、非現実的、私流に言うと童話的というわけなのである。しかし天女と安達《あだち》ヶ原の妖婆と揃って一人の少年を成しているのは別にフランケンシュタインの一族一味ではなくて、日本の現実の一端であり、現代の少年少女の生態にはたしかに此のようなところもあるのである。彼や彼女らの無心に歩くところ、その門はどこにでも開らかれているのだから。
女だと思いのほか男である。だまされたから怒るのは自然で、これをただ黙ってヘラヘラ笑っておれば、その方が薄気味悪い話さ。しかし、怒ったから、いきなり刺すというのは一般の人のよく為しうることではない。家出、それに自殺という気分
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