しようと決心したのです。どこでだって暮せる、死んだっていゝと思ったのです。
 学校の月謝と正月の小遣い二千五百円と、去年の暮、護身用に買っておいたジャックナイフをポケットに、午後三時頃、家をとび出しました。途中新宿で降り、最後だからと思って映画を見ました。「女賊と判官」というのです。映画館を出るとピースを買ってのんだが、うまくなかった。
 あてがないので、新宿駅の西口附近をぼんやり歩いていたら、若い男が、
「いゝ女がいるから遊んで行かないか」
 と話しかけできました。最後だから、女を知りたいと思いました。すると、その男が連れてきたのが、あの男なのでした。
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 この手記の筋を用いて童話ならできるだろう。少年が死出のミヤゲにパンパンを買いに行ったり、オカマが現れたり、大そう汚い童話だが、ストリンドベルヒ流の童話にはなるようだ。
 十六の少年が疎開中に遊んだ村の娘、そのころ二人は十未満でしょうが、少年はその女の子が忘れられずに、村へ訪ねて行きますが、その子の家はもうないので、落胆してしまいます。
 この辺は「たけくらべ」の恋情を、ムッシュウ・スガンの山羊の素直さにした感じ。まことに至純なメルヘンの世界である。少年の落胆が甚しいので、そんなに思いつめているなら結婚させようと母親は考えるが、オレがまだ結婚しないのにと二十の兄が反対し、父親も兄の言葉に同意見である。十六という年齢が結婚に早すぎるというのは万人がそう考えるのが常識であろう。理につく男親がその常識に従うのも当然。しかし母親が常識を度外視して、そんなに思いつめているなら結婚させたいと考えたのは、いかにも溺愛に盲いがちな母親らしい自然さでもあり、両親の気持のくいちがいや論争など、浄ルリのサワリになるところであろう。
 童話と浄ルリの中の少年が家人とケンカして家出すると、唐突に話が汚くなってパンパンを買うことになるのが現代風だ。家出あるいは自殺というアンタンたる出発に護身用のジャックナイフを持ったというのは頷けないことではない。自殺に行くのに護身用は妙なようだが、自殺も他殺も同じようなもの、諸事アンタンとして気持が悲愴で荒々しく悲しい時には、自殺も家出も道に待ち伏せているかも知れぬオイハギ山賊妖怪もみんな一しょくたで、悲愴な気持の中には不安や苦痛な悪いことがみんな含まれていて一ツだけ分離されてい
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