あげるということが却々《なかなか》できないもののようだ。いきおい状況判断によって裁判せざるを得なくなる場合が多いようだ。物的証拠があがらなければ無罪放免という公式論を一概にふりまわすわけにはいくまい。
しかし状況判断ということになると、易者や町医者の鑑定ぶりに近づくことになるから、巷談師が気がかりになるのである。
民事裁判の場合などでも、原告被告の人柄とか、判事の私生活との類似とかというようなことから、微妙な傾斜が起りはじめる危険がありそうに思われる。人間である限り、最善をつくしたツモリでも、誤審はさけがたいに相違ない。巷談師は、そういう例を、法律的にではなく、人間的に観察してみたいと考えていたのである。しかし、それは記事を見ただけでは分らない。訊問の現場や法廷に居て逐一見物した上でないとダメであるから、無性者の巷談師には実現不可能であった。三鷹事件などは特に見たかったのだが、あんなにシバシバ法廷がひらかれるのでは、田舎住いの私には、とてもコマメに通勤ができない。だから、本当にやってみたいと思ったことは、永久にやれそうもない運命にある。なぜなら、持って生れた無性者の根性がなおる見込
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