もつ者と、同化する者と二つの型がありうるのかも知れない。そして同化する型が、催眠術的な関係に類似するように思われる。又、町医者などには、催眠術的な説得法を診察にとりいれている例が少くはない。私自身はその方法に不安を感じ、そういう医師から遠ざかるのが例であるが、人によってはそれが効き目を現すかも知れないから、一概に否定することはできない。
邪教の要素というものは、一見健全な実生活に於ても活用せられて、怪しまれずに通用していることが多いものだ。三流の教祖のような低脳な大臣もいる。学者もいる。
特に私が邪教に関聯して思うことは、先にも述べたが、検事の訊問とか、判事の判決とか、法律上のことで、法の運用というものは、最も常識的で、健全でなければならないものだ。けれども、易者的、町医者的な、予期や、牽強附会から絶縁するということは、なかなか人間の為しがたいところである。しかし、法を運用する者は、自分が「ナマ」の人間であってはならぬこと、感情なく、ただ過不足なく判断する機械のようなものだということを忘れて仕事に当ってはいけないだろう。邪教的な要素と最も絶縁されたものでなければならないのである。
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング