り、カードを並べたりするのは、催眠術者、又はミコのような精神状態に自分を持って行く方法の一つであるかも知れない。
 けれども、一般に、易者というものは、もっと安易である。そして、現実的である。彼らは、妄者の顔や人柄から判じ、最大公約数的な質問や判断で狭めていって、一応の的中率を示す方法を心得ている。
 私は検事の訊問などにも、易者と同じような最大公約数的な設問法がとりいれられているムキがあるような気がする。時に被告が検事の催眠術にかかったなどといいがちなのは、被告の弱点を最大公約数的につくので、両者の焦点がずれていても、ぬきさしならぬような結論がでてくることが有りがちではないかと思うのである。
 これは医者が患者を診察する場合にも起り易い現象だ。ここが痛みますか、とか、じゃア、ここを押すとこんな風じゃありませんか、というような訊き方が、最大公約数的に適中していても、真実からはズレている場合が起り易いと思われるのである。私は医師、特に内科の診断を乞う場合、診断をうけながら、甚しくその不安を感じるのが例である。医師がある種の予期をもつ場合、患者はそれに対して敏感であり、その結果として不安を
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