のだ。しかし二科の謎絵はそうではない。彼らの観念は、絵に至るまでには言葉によって導入されており、そして導入された最後だけを言葉から切り離して、色の世界に置きかえようと試みているにすぎないのである。
私の隣に見ていた二人の学生は、東郷青児の絵を、横目でチョイと見ただけで、
「こいつ、甘ったるいなア」
と云って、近所の謎絵の方に腕を組んで見入っていたが、いくら甘いったって、東郷青児の絵は、その観念の構成が、始めから純粋に色である。言葉の借り物がないだけでも、謎絵よりは大そう良かろう。絵の展覧会というものは、教祖や弟子から謎をかけてもらいに行くところではないのである。
これら謎絵の狂信者の大元の大教祖はとたずねれば、ピカソあたりになるのだろうが、ピカソという人は、日本の弟子とは大ぶ違っているようだ。第一に、この先生はすでに絵描きではないし、そのことを自覚している先生である。この教祖は絵画を下落させた。つまり、絵画というものを独立して存在する芸術から下落させて、建築の一部分、実用生活の一部分に下落させた人である。しかし、これが下落か上昇かは、にわかに断定ができないが、彼は芝居の背景もコスチュームも構成するし、陶器も焼くし、椅子や本箱のデザインでも、なんでもやる。彼の絵の観念的先駆をなしているものは、実生活の実用ということで、絵という独立したものではない。
日本の小教祖や小弟子の絵や彫刻にも、ピカソの自覚があれば、まだ救われると思う。私が見たものの中でも、これはフロシキか、これは帯の模様か、これはイスか、これはジュウタンか、と思うようなのはタクサンあった。謎をかけようなどという妙な根性は忘れ、専一に実用品の職人になれば、まだしも救われるであろう。すくなくとも、彼らのつくるものは、全く絵ではない。
ラジオに「私は誰でしょう」というのがあるが、二科の謎絵は「私は何でしょう」という第一ヒントを題名でだしているようなものである。おまけに、そのあとが、つづかない。フロシキや帯の模様としてはデザインが見苦しいし、色が汚いし、製作がゾンザイである。
一つとして、良いとこがない。実用品の職人になるにも、一人前になるまでには、まだまだ前途甚だ遠い。
彼らの制作態度は、まさしく教祖的の一語につきているようだ。いたずらに大を狙う。この大が、タダゴトではない。二ツの蕪のようなオッパイを
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