空中にとばせるために十尺四方も色をぬたくる必要があるか。空中はたしかに広いものであるが、一尺四方でも表現できるし、オッパイなんてものは、吊り鐘のように大きく書くものではないですよ。造化の神様が泣くと思うよ。
 次に、いたずらに、不可解を狙う。コケオドシという教祖の手である。曰く言いがたし、この門をくぐる者には幸がある、という怪しき一手でもある。これを腕をくみ、小首をかしげて、神妙に対座して謎をとこうという書生がいるから、教祖は常によい商売なのである。
 次に、在来のものを否定する。これぐらいカンタンな手はない。
 私がせめて彼らに願うことは、ともかく実用品たれ、ということである。腰かけることのできるイス、物をつつめる一枚のフロシキをつくる方が、諸君の絵や彫刻よりもムダではない。
 絵の感覚は似たようでも、もっぱら実用品の新案のために妙テコレンな、しかし熱心な工夫をこらしている花森安治の仕事の方が、私にはどれぐらい高尚に、又、大切に見えるか分らない。たとえ二科の教祖諸氏が彼を絵の素人とよぶにしても、私は彼を実用生活の芸術家とよび、諸氏を単なるニセモノ山師とよぶであろう。



底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第一五号」
   1950(昭和25)年11月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第一五号」
   1950(昭和25)年11月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
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