コンディションに敏感になりすぎてしまうのである。スポーツマンの心事というものは豪快なものではなくて、甚しく神経衰弱的であり、女性的なものである。
 私も大昔インターミドルで走高跳に優勝らしきことをやったことがあった。この日は大雨で、トラックもフィールドもドロンコである。当時は外苑競技場が未完成で、日本の主要な競技会は駒場農大の二百八十米コースの柔くてデコボコだらけのところでやる。排水に意を用いたところなどミジンもないから、雨がふると、ひどい。走高跳の決勝に六人残って、これから跳びはじめるという時に、大雨がふってきた。六人のうち五人は左足でふみきる。拙者一人、右足でふみきる。助走路は五対一にドロンコとなり、五人は水タマリの中でふみきるが、私はそうでないところでふみきるから、楽々と勝った。実際はその柄ではない。力量の相違というものは、マグレで勝っても、よく分って、勝った気持がしないものだ。あのころの中学生は強豪ぞろいで、短距離の高木、ジャンプの織田、南部、いずれも中学生にして日本の第一人者であった。こういう天才と私とでは、力量の差がハッキリしすぎて、面白くなかったな。雨のオカゲで勝ったりし
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