としての教養はコチコチの日本主義者ではあるが、紳士の域に至らぬことを明かにしているのである。レースはせり合いだという事の本質を知らないのである。そのために、過去の四百レースでいつも苦杯をなめていながら。はじめて古橋という国産のせり合いの特級品を持ちながら。
しかし、今度の日米競泳は面白かった。今までの日本は箱庭式のタイム派で、キレイに相手を離して勝つか、追いこまれるか、一方的で、自分が追いこんだことがない。今度に限って古橋が相手を追いこむ。すると、又、これに追いこみをかけるマクレンもあり、コンノもありというわけで、レースにこもった力というものは、すごかった。抜いたり、抜かれたりである。日本にも、古橋式のレース強い馬力型の選手がたくさん出てくれると国内競技でこれが見られるが、目下古橋一人であり、元々食物が粗悪なところへ、戦争このかたの欠食状態であるから、馬力型の特級品が現れる可能性は当分甚しく心ぼそい。しかし、レースをたのしむ者の身にしてみると、抜かれたり、抜きかえしたりの力、あの振幅の限度にみなぎる力の大きさ、美しさに目を奪われるのである。箱庭式のタイム派からは、こんな美を感じること
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