しかし、レースはせり合いだという勝負の本質を知る者にとっては、古橋とマーシャルの今度のせり合いぐらい待望のものはなかった。マーシャルは意外に不振であったが、それは結果が判明してからの話で、マーシャル自身もレース前には好調のつもりでいた。古橋はすでに年齢で、これから降り坂になるかも知れない時であり、全盛の古橋と好調のマーシャルのレースというものは、両者これ以上のコンディションに於ては、あるいは不可能であるかも知れないと観測されないこともない。古橋は長距離王国の日本に於ても超特級品であるが、マーシャルは、日本独壇場の千五百で、はじめて日本の王座をおびやかす欧米の超特級品。欧米ではアルネ・ボルグ以来の二十数年ぶりの天才で、この種目では今後なかなかこれだけの選手が現れなかろうと思うのが至当な稀有な場合である。
 この決戦を平然として棄権させた日本水聯の愚行は論外である。結果はマーシャルが不振のために救われたようなものではあるが、これだけの大レースを実現させるためには借金を質においても、というほどの、水泳の正しい教養が身についていれば、当然そうでなければならないことであった。つまり彼らの水泳家
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