スホールをそなえた遊廓はかなりあった。しかし娼家にホールが建物としてくッついているというだけで、誰も踊ってやしないし、誰かが踊っていたにしても、在来の娼家の性格を出ているものではなかった。
 東京パレスは、その恋人を選定する道程に於て、娼家的なものがないのである。意識的に、そこに主点をおいて、娼家的なものを取り去っているのだ。
 そこはダンスホールである。バンドもある。よく、きいてみろ。雑音とちがうぞ。ちゃんと曲にきこえるだろ。女はイヴニングをきている。そして、ともかく、一応の容姿の娘(年増は殆どいない)をとりそろえ、ストリップを観賞するように、踊る美女をながめて、恋人を選ぶ仕組なのである。
 ここへくると、ストリップの今の在り方の下らなさがよくわかる。芸のない、助平根性の対象としてのストリップ。裸の女を眺めて、それからモーローと反対側の方角へ劇場をでてしまうマヌケさ加減、東京パレスはアベコベだ、これから共に寝室へ行く目的がハッキリしているし、そして、それがハッキリしていると、彼女がハダカであるよりも、衣裳をつけ、楚々と踊りつつある方が、どれぐらい内容豊富だか分らない。裸体はそれを直接
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