ちゃん、スターになりましたか」
「いいえ。脚本どすわ。このところ、ひッぱりだこや。忙しそうにしてはりますわ。身持もようなって、感心なもんや」
浅草で大阪弁とはケッタイな。こう思うのは素人考えというものである。浅草は大阪と直結しているところだ。この店の名が染太郎、オコノミ焼の屋号であるが、元をたずねれば漫才屋さんのお名前。種をあかせば、納得されるであろう。浅草人種は千日前や道頓堀と往復ヒンパンの人種でもある。
淀橋太郎は浅草生えぬきの脚本家であるが、終戦後突如銀座へ進出して銀座マンの心胆を寒からしめた戦績を持っている。今から三年ほど前、日劇小劇場にヘソ・レビュウというのが現れて人気をさらったのを御記憶かな。このヘソ・レビュウの発案者、ならびにヘソ脚本の執筆者が淀橋太郎であった。つまりストリップの元祖なのである。
「ヘソをだしゃ、お客がきやがんだからな。バカにしやがる」
元祖は酔っ払って嘆いていた。長い年月軽演劇というものに打ちこんできた彼にしてみれば、女の子がヘソをだすや千客万来とあっては残念千万であったろう。
「こうなりゃア、お定ですよ。もう、ヤケだよ。ホンモノのお定を舞台へあげますよ」
「因果モノはよろしくないよ。よしなさい」
「いえ。ヤケなんだ」
三年前といえば、浅草人種は何が何だか分らない時代であった。お客が何に喰いつくか、好みの見当がつかなかったのである。てんで分らねえや、と云って、淀橋太郎と有吉光也が渋面を寄せてションボリしていたものだが脚本家にとって、お客の好みが分らないぐらい困ったことはなかろうから、当時の彼らの苦しみは深刻であった。
「どうも純文学ものが、うけるらしいですよ」
当時彼らはそんなことも言っていた。そして私の小説などもとりあげてやったが、一時はそれで成功したようである。しかし、それも短い期間で、淀橋太郎らの新風俗は解散し元祖が一敗地にまみれて、映画に転向してから、ストリップの全盛時代がきたという、めぐり合せの悪い男である。
お定をひッぱりだす、という時には、もうヤケクソであったようだ。けれども、お定劇の主役にするというような大ゲサなものではなくて、幕間にちょッと挨拶するというプランであった。淀橋太郎は、そうあくどいことのできないタチで、ヘソの元祖でありながらアブハチとらずの因果な男だ。
お定はこれを断って、別口のお定劇の主役
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