人のウチへ来たような気はしなかろう。お膝を楽に、などゝ云われなくたって、お膝を楽にする以外に手がないという小屋だからである。この効果はマグレ当りであるがこの小屋の強みであることに変りはない。
 ここのストリップは、表情のクルクルうごく子が、変に新鮮で可愛らしい。素人あがりで、見よう見マネで一人でやってるのだそうだから、天分があるのだろう。あとの子は昔ながらの浅草レビュウで、体をなしていない。
 男と女が現れ、クロール、ブレスト、バタフライ、水泳をまねた踊りをはじめた。ストリップの踊りとしては新鮮な思いつきだと思って、見ていると、踊りがダメで、ハシにも棒にもかからぬものになってしまった。
 芸である。ほかの文句は無用、芸が全部だ。こういうデコボコ・バラックで見るにたえる芸人をとりそろえると、時代の名物になる可能性は甚だ多い。旅の心、ノスタルジイとか、ふるさと、などゝいうものに、小屋自体の雰囲気が通じているからである。

          ★

 気がつかないと、なんでもないが、ズラッとみんな男だけ、それも相当の年配なのが、目玉をむいてギッシリつまっているというのは、それに気がつくと、どうもタダゴトならぬ気配である。
 見物人の一人としてこの気配の中に立ちまじっていても胸騒ぎがするぐらいだから、経営者側には、これが頭痛のタネなのは当り前だ。GIはキャア/\喚声をあげ、女の子のハダをなでたり、一心同体のうちとけぶりを現すが、日本人の観客は拍手ひとつ送らないのである。これに気がつくと凄味がある。音もなく、反応もなく、ただ目の玉が光っているのである。タメイキをもらすわけでもない。実にただ黙々と、真剣勝負のような穏かならぬ静かさである。
 そこでかの浅草小劇場の社長先生が考えたのである。GIだけ人種がちがうというわけはない。日本人だって酔っ払えばGIなみなハデな喚声をあげる仁もある。素質がないわけではないのだから、こっちのやり方ひとつで、日本人をGIなみの見物態度に誘導できないはずはない。
 そこでストリッパーを踊りながら客席へ降ろすことを考えた。踊りながらタバコをすう。口紅のついたタバコを見物人にさしあげる。
 ところが、もらってくれないのである。三人のうち二人は身体をねじむけて、ソッポをむいてしまう。一人はわざと渋々うけとり、まずそうに吸ってペッペッとやる。そうかと思うと
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