一人は三分の一だけ吸い、残りをうやうやしく紙にくるんで胸のポケットへ大事にしまいこんでしまった。拒諾いずれにしても沈々として妖気がこもってることに変りはない。
 日本のストリップショオの見物人を家族的にうちとけさせるのは実に一大難事業であるというのが彼氏の結論であるが、これも、一方的な、手前勝手な言い分なのである。
 踊り子が生きとらんじゃないか。彼女は踊り子ではなくて、生の裸体にすぎんじゃないか。沈々として妖気ただよう見物人と全く同質の単なる肉体にすぎないのである。
 肉体がタバコをすって、ギコチないモーションで口紅だらけのタバコをつきだせば、誰だってギョッとすらあ。これにスマートな応対をしてくれたって、ムリのムリですよ。
 お客をうちとけさせるには明るく軽快でなければならず、これも芸を必要とする。芸なし猿が口紅だらけのタバコの吸いさしを突きだすなどゝは、アイクチを突きだすぐらい穏かならぬ怪事としるべし。生き生きとした笑顔ひとつ出来ないというデクノボーのような肉塊にすぎないのだもの。
 見物人にインネンをつけるよりも、踊り子の芸を考えてみることである。
 先般、文藝春秋だかに、メリー松原と笠置山の対談があって、メリーさん曰く、肉体が衰えてはいけないから情事をつつしまねばならぬ、とある。こんな物々しい考え方もしてみたいのだろうが、ムダなことだよ。芸だけ考えればタクサンなのである。芸というもの、舞台の上で女に生れるということを本当に心得ていないから、肉体の衰えだの、情事だのくだらぬことを考える。むしろ正確に情事を学ぶ方がいくらか芸のタシにはなるだろうさ。
 私がストリップ見物に出発とあって、迎えにきた8888にのりこむと、旅館のオカミサンや女中サン大変なよろこびようで、
「ストリップ見せてえ! つれてきて下さいよう!」
 歓呼の声に送られて出たのである。
 内職の座敷の踊り、その道で「全スト」という。さすがにゼネストとまぎらわしい穏かならぬ言葉であるが、一糸まとわぬストリップの意味なのである。
 しかし舞台のストリップを見れば一目瞭然であるが、このうえ全ストなどゝいうものはそればッかりはゴカンベンという気持になる。もっとも、全ストから寝室へ直結するという意味だったら、通用する。寝室へ直結するだけの生の裸体でしかないのだから。そして、もし、寝室へ直結しないとしたら、全ス
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