。
しかし、東京のような大都会に於ては、長い年月をかけて、やがて「時間」がその結論をだすまで待つ以外に仕方がないが、熱海のような小都会では、もっと早く、その結論の一端が現れそうな気がする。大火によって、熱海には、はからずも公娼と街娼が自然的に発生した。あるいは熱海市が自分の好みで一方を禁止するかも知れないが、そうしないで、どっちが繁昌し、彼女らの動向が自然にどッちへ吸収されるか、実験してみるのも面白いだろうと思う。
街娼というものが個性をもち、単なる寝床の代用でなくて、男に個性的なたのしさを与えるようになれば、それはもうパンパンではなくて、女であり、本当の自由人でもある。日本のパンパンが自らそこへ上りうるか、どうか。又、日本の男が、パンパンのそうした個性的な成長を好むか、どうか。これは私も実験してみたい。
街娼ということは、決して街頭へでてタックルするというだけのものではない。アラビヤがそうであったように、自分の個性と趣味の中へ男を誘って、その代償に金をうけとることを云う。パンパンがそういう風に生長してしまうと、さしずめ私は街の寝床を失ってヒルネができなくなるが、そのころには気の
前へ
次へ
全39ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング