多い。新宿で私が眠りに行きつけの家も、終戦後十何人と変った女の中で、好きでダンスを覚えで、ホールへ踊りに行くのは、たった一人、大半は映画も見たがらず、ひねもす部屋にごろごろして、雑誌をよんだり、ねたりしているだけである。特にうまいものを食べたいというような欲もなく、支那ソバだのスシだのと専門店のものがうまいと心得ていても、特にどこそこの店がどうだというような関心もない。熱海中私を案内したパンパンは、スシはここが一番よ、とか、洋菓子はこことか、その程度は心得て、一々指して私に教えてくれたが、
「重箱ッてウナギ屋知ってるかい」
 ときいてみると、知らない。この店は熱海の食物屋では頭抜けたもので、小田原も三島も及ばぬ。東京も、ちょッとこれだけのウナギを食わせる店は終戦後は私は知らない。こういう特別なものは、彼女らは知らないし、関心も持っていない。
 自由が許されても、彼女らは鋳型の中の女であり、ワクの中に自ら住みついて、個性的な生き方をしようとしない。彼女らがそうであるばかりでなく、日本の多くの「女房」がそうで、オサンドン的良妻、家庭の働く虫的なものから個性的なものへ脱皮しようとする欲求を殆
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