あり、そこで熱海がこの焼跡から何を悟ったかというと、糸川の復興なくして熱海の復興はあり得ずということなのである。
道学先生がいくら顔をしかめてみたって、現実はどうにもならない。遊ぶ中心を失うと遊覧都市は半身不随で、熱海は現に魂のない人形だ。熱海銀座と糸川がなくなると、この町は心臓を失ってしまうのだ。
私の住む伊東では、風教上よろしくないというので、遊興街を郊外へ移しつつある。これでは話がアベコベだ。温泉地というものは中心が遊楽であるのが当然で、したがって街の中心も遊興街、温泉旅館街で構成さるべきであり、風教上よろしくないと思う人が、郊外へ退避すればよろしいのである。
だいたい伊東というところは、団体客専門の旅館ばかりで新婚旅行や、私たちのようにそこで仕事をしようという人種の落着くことができるような設備をそなえた旅館が殆どない。
熱海となると、新婚旅行や文士に適した静かな旅館も多く、それはおのずから中心を離れて、郊外に独自の環境を保っている。伊東はドンチャン騒ぎの団体旅館で構成されているくせに、風教上よろしくないというので、パンパン街を郊外へ移すというから笑わせるのである。
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