のだ。最初から金目の品物に目をつけたのは、相当落着いた人間か、火事場泥棒に限られていたそうだ。
 罹災者への救援はジンソクで、又至れり、つくせりであった。
 私は焼跡の林屋を見舞い、それから水口園へ行って仕事しようと思ったが、原稿紙は持って出たが、洗面道具を忘れてきたので、一式買ってきてくれと女中にたのむと、すぐ戻ってきて、
「ハイ、歯ブラシ、タオル、紙……」
「いくらだい」
「イエ、タダです。エプロンをきて、ちょッと、こう、リリしい姿で行きますとね。なんでもタダでくれます。熱海の罹災者は楽ですよ。一日居ないと損すると云って、みんな動きません」
 こんなわけで、私は熱海の罹災者の余沢を蒙った。
「こんなに日常品をジャン/\くれると知ったら、身の廻りの安物には目もくれず、重い家具類をだすんだった」
 というのが、熱海の罹災者の感想で、新しい現実の発見でもあったようだ。つまり、戦争時代の終滅と、新しい現実の生誕を、ハッキリと、改めて発見したのだ。
 しかしながら、戦争の終ったことを発見するということは、甘い現実を知ることではない。むしろアベコベに自由競争の厳しい現実を身にしみて悟ることでも
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