るのであった。私は焼跡を見物して、焼け残った起雲閣を目にした時には、呆然、わが目を疑ったのである。偉なる哉、淳や、沈着海のごとく、その逃ぐるや風も及ばず。
戦争中の石川淳は麻布の消防団員であった。警察へ出頭を命ぜられ、ムリに任命されてしまったので、
「むかし肺病だったが、それでも、よろしいか」
「結構である」
「下駄ばきで消火に当るのは、不都合であるから、靴を世話したまえ」
「下駄ばきでも不都合ではない。誰もお前が東京の火を消しとめるとは期待していない。すでに東京はあの通りだ」
と云って焼野原の下町を示して見せたそうである。
焼け残った銀座の国民酒場で、私はよく彼とぶつかった。我々は一パイのウイスキーをのむために必死であったが、彼は下駄ばきに、背に鉄カブトをくくりつけ、それが消防団員石川淳の戦備ととのった勇姿の全部であった。
熱海の大火では、空襲下の火災の錯乱が見られた。つまり多くの人々は、避難ときくや、まッさきに、米、食物の類を小脇にかかえて走り去り、すでにそれらの物品の入手が容易であることを忘れていたのである。食物の次には、身の廻りの日常品。散々不自由した恐怖がぬけていない
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