れには見向きもせず、魚見崎へ散歩に行った。菅原が罹災者の荷物を運んでやろうとすると、
「コレ、コレ。逆上しては、いかん。焼け出されが逆上するのは分るが、お前さんまで逆上することはない」
 と云って、たしなめて散歩につれ去ったのである。魚見崎が消えてなくなることはあるまいのに。しかし、火事は一度のものだ。その火事も相当の大火であるというのに、火の手の方はふりむきもせず、アベコベの方角へ散歩に行った石川淳という男のヤジウマ根性の稀薄さも珍しい。
 散歩から戻ってみると、火事は益々大きくなっている。しかしヤジウマ根性が稀薄だから、事の重大さに気づかない。
 一フロあびてお酒にしようと、ノンビリ温泉につかっていると、女中がきて、火の手がせまって燃えうつりそうだから、はやく退去してくれという。御両氏泡をくらって湯からとびだし、外を見ると、黒煙がふきこみ、紅蓮《ぐれん》の舌が舞い狂って飛びつきそうにせまっている。ここに至って、逆上ぎらいの石川淳も万策つきて顛動し、ズボンのボタンをはめるのに手のふるえがとまらず、数分を要したという菅原記者の報告であった。
 しかし、これからが石川淳の独壇場であった。
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