安吾巷談
熱海復興
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)玖須美《くすみ》の

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/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チョロ/\と
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 私が熱海の火事を知ったのが、午後六時。サイレンがなり、伊東のポンプが出動したからである。出火はちょうど五時ごろだったそうである。
 その十日前、四月三日にも熱海駅前に火事があり、仲見世が全焼した。その夜は無風で、火炎がまッすぐ上へあがったから、たった八十戸焼失の火事であったが、山を越えて、伊東からも火の手が見えた。もっともヨカンボーというような大きな建物がもえ、焼失地域が山手であったせいで、火の手が高くあがったのかも知れない。このときも、伊東の消防が出動した。三島からも、小田原からも、消防がかけつけていた。なんしろ火事というものは、無縁のヤジウマが汽車にのって殺到するほど魅力にとんだものだから、血気の消防員が遠路をいとわず馳けつけるのもうなずけるが、温泉地の火事は後のフルマイ酒モテナシがよろしいから、近隣の消防は二ツ返事で救援に赴くということである。
 四月三日の火事から十日しかたたないから、マサカつづいて大火があるとは思わない。外を吹く風もおだやかな宵であるから、ハハア、熱海は先日の火事であわてているなと思い、又、伊東の消防は熱海の味が忘れられないと見えるワイ、とニヤリとわが家へもどり、火事はどこ? ときく家人に、
「また、熱海だとさ。ソレッというので、伊東の消防は自分の町の火事よりも勇んで出かけたんだろうな」
 と云って、大火になるなぞとは考えてもみなかった。そのときすでに、熱海中心街は火の海につつまれ、私の知りあいの二三の家もちょうど焼け落ちたころであった。
 私は六時半に散歩にでた。音無川にそうて、たそがれの水のせせらぎにつつまれて物思いにふけりつつ歩く。通学橋の上で立ちどまって、ふと空を仰ぐと、空に闇がせまり、熱海の空が一面に真ッ赤だ。おどろいて、頭を空の四方に転じる。どこの空にも、夕焼けはない。北の空だけが夕映えなんて、バカなことがあるものじゃない。
 熱海大火!
 私は一散にわが家へ走った。私のフトコロにガマ口があれば、私は駅へ走ったのだが、所持金がないから、
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