涙をのんで家へ走った。
 遠い方角というものは、思いもよらない見当違いをしがちであるが、十日前にも火の手を見たから、熱海の方角に狂いはない。十日前にはチョロ/\と一本、ノロシのような赤い火の手が細く上へあがっているだけであったが、今日は北方一面に赤々と、戦災の火の海を思わせる広さであった。
 一陣の風となって家へとびこみ、洋服に着代え、腕時計をまき、外へとびだし、何時かな、と腕をみて、
「ワッ。時計がない」
 女房が時計をぶらをげて出てきた。
「あわてちゃいけませんよ」
 と言ったと思うと、空を見て、
「アッ。すばらしい。さア、駈けましょう」
「どこへ?」
「駅」
「あんたも」
「モチロン」
 この姐さんは、苦手である。弱虫のくせに、何かというと、のぼせあがって、勇みたつ。面白そうなことには、水火をいとわず向う見ずに突進して、ひどい目にあって、二三日後悔して、忘れてしもうという性コリのない性分であるから、この盛大な火の手を見たからには、やめなさいと云ったって、やめにするような姐さんではない。
 私は内心ガッカリした。私は火事というと誰も行くことのできない消防手の最先端へとびだして、たった一人火の手にあおられながら見物するという特技に長じており、何百人のお巡りさんが非常線をはっても、この忍術をふせぐことはできないのである。姐さんに絡みつかれては、忍術が使えない。
 伊東の街々では門前に人々が立って熱海の空を見ている。自転車で人が走る。火元は埋立地だという。銀座が焼けた。糸川がやけてる。国際劇場へもえうつった。市役所があぶない等々。街々を噂が走る。
 してみると私が時々遊びにでかけた林屋旅館も、支那料理の幸華も、洋食の新道も、もうやけたのだ。
「いいかい非常線にひッかかったら、糸川筋の林屋旅館へ見舞いに行く伊東の親類だというんだよ。林屋は伊東の玖須美《くすみ》の出身だからね」
 と、女房に忍術の一手を伝授しておく。
 電車は伊東から、すでにヤジウマで満員だ。同じ箱にのりこんだ周囲の十数人から知った顔をひろってヤジウマとはいかなる人種かと御紹介に及ぶと、一人は知人の家の女中(二十一二。通勤だから、夜は自由だ)、バスガール三人。これは知り合いというわけではないが、バスにのると向うに見える大島は……と説明して、大島節をうたってきかせるから、自然顔を覚えたのである。
 宇佐美で
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