でいる唯一の人種であった。彼女らのある三人は、小さな包みを一つずつ持ち(それが全部の財産だったろう)来ノ宮の駅で、包みを空中へ投げながら、
「さらば熱海! 熱海よサラバ!」
火に向って叫んで笑いたてていたのである。
彼女らにとっては天下いたるところ青山ありである。火事場を逃げたその足で、伊東のパンパン街へ移住したのもタクサンいた。
約半数が他へ移住し、半数が焼跡に残り、焼けない家にネグラをつくって、街頭へ進出して商売をはじめた。これが熱海の新風景となって人気をよび、熱海人士に、市の復興は糸川からと悟らせ、肩を入れて糸川復興に援助を与えはじめたから、伊東その他へ移住した女たちも、みんな熱海へ戻り、熱海の女でない者まで熱海へ走るという盛況に至ったのである。
もっとも、糸川町はまだ五軒ぐらいしかできていない。多くの女は他にネグラをつくって、街頭で客をひいているのだ。
私は土地の人の案内で、糸川のパンパン街へ遊びにいった。私はそこで非常に親切なパンパンにめぐりあったのである。彼女は私をさそって、熱海の街をグルグルと案内してくれたのである。焼跡のパンパンの生態を私に教えてくれるためである。あれもパンパン、これもパンパン。彼女の指すところ、イヤハヤ、夜の海岸通りは、全然パンパンだらけである。駅からの道筋にも相当いる。
若い男と肩を並べて行くのがある。
「あれ、今、交渉中なのよ。まだ、話がきまらないの」
「どうして分る?」
「交渉がきまってからは、あんな風に歩かないわよ」
と云ったが、どうも素人の目には、交渉中の歩き方にその特徴があることを会得することができなかった。
「ここにも、パンパンがいるのよ。この旅館にも三人」
と彼女はシモタ屋や旅館や芸者屋を指して、パンパンの新しい巣を教えてくれた。至るところにあるのである。
糸川の女は、とりまえは四分六、女の方が四分だそうだ。しかし食費などは置屋が持つ。公娼制度のころと変りは少いが、ただ自由に外出ができるし、お客を選ぶこともできる。それだけの自由によって今のパンパンが明るく陽気になったことはいちじるしい。もっとも、これだけの自由があれば、我々の自由と同じものを彼女らは持っているのである。資本家と労務者の経済関係というものは、どの職域にもあることで、ほかの職域の人々はクビになると困るが、彼女らはこまらない。全国いたると
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