日も伊東のPTAの人が私に嘆いて曰く、
「伊東に温泉博物館と図書館をつくるという案があるのですが、そういった文化施設には殆ど金をかけてくれないのですな」
これも妙な嘆きである。温泉へくる客はバカのようにノンビリと日頃の疲れを忘れようというわけで、勉強にくるわけではないから、博物館や図書館などに金を投ずるよりも、気持よく遊楽気分にひたらせる設備が大切なのだ。本を読むために温泉へ行く人もあろうが、読書家を満足させる本は図書館にはない種類のもので当人の書斎から持ってくる性質のものだ。
文化ということは温泉に博物館や図書館をつくるということではなくて、温泉は遊びにくるところだから、気分のよい遊び場としての設備をととのえるべきで、博物館や図書館などは無用の長物だということなどを知ることにあるのである。物に即してそれぞれの独自の設備が必要なのだ。
これにくらべると、熱海が自分の中心としてパンパン街をハッキリ認識したことは、正当な着眼だ。中心街の雑音がうるさかったり、風教上よろしくないと思う方が郊外へ退避すればよろしく、それが温泉都市の健全な在り方というものだ。
現に私は静かな部屋で仕事をしたいと思う時には、熱海へ行く。熱海には、中心街の雑音を遠く離れた静かな旅館がいくつもあるのだ。街の中心は局部的にいくら雑音が多くても構わない。むしろ局部的に、雑音を中心街に集中するのが当然だ。
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私は熱海というところを、郊外の旅館で仕事のために利用してきたから、中心街を長いこと知らなかった。今年までは糸川を歩いたこともなかったのである。たまたま林屋旅館を知るようになり、どんな真夜中に、電車も旅館もなくなって叩き起しても、イヤな顔せずに歓迎してくれるから、時ならぬ時に限ってここを利用し、したがって糸川の地を踏むようになったが、その奥のパンパン街を散歩したのは、たった一度しかなかった。私はこういうところは、半生さんざん歩いてきたから、今さら新天地を開拓するような興味が起らなかったのである。
今度の巷談に、熱海復興の様相をさぐれということで、熱海復興は糸川から、と叫んでいるぐらいだから、糸川見物にでかけることにした。
糸川の女たちも、糸川が復興するとは思わず、これで熱海は当分オサラバと思ったろう。私が火事を見物している時にも、糸川の女だけがホガラカで、ハシャイ
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